九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。熊本県人吉市から情報発信しています。

病者洗礼 立ちはだかったハードル

今日は鹿児島ハリストス正教会で、闘病中のマチ子さん(仮名)の洗礼を行いました。

 

マチ子さんの娘の夏子さん(仮名)は鹿児島市出身で米国在住。ギリシャ系のご主人と結婚し、ご自身も正教徒です。

先月、夏子さんは病気が進行したマチ子さんの看病のために帰国しました。そして私にメールで、入院中のマチ子さんの洗礼を依頼されたのです。人生を正教会のクリスチャンとして終えたいとの願いを叶えたいということのようでした。

私としてはもちろんOKです。しかし今はコロナ禍で、入院患者の面会が難しいことは承知していたので、いわゆる「看取り」ということで面会できるよう、病院と交渉してもらえないかと夏子さんに頼みました。

 

ちなみに、正教会においては「目に見えない神の恩寵を目に見える形で『生きている』信者が受け取る」ための重要な典礼が七つあり、これを機密(Sacrament)と呼んでいます。洗礼はその一つであり、他には傅膏(洗礼に続いて聖霊の賜物を受ける)、聖体(キリストの体と血をいただく)、婚配(信者の結婚)、痛悔(罪の告白と赦し)、神品(聖職者の叙任)、聖傅(病者の癒しを祈って油をつける)があります。

どれも実際の相手がそこにいて初めて成立するものであり、いわゆるヴァーチャルは絶対にあり得ません。たとえば聖体礼儀の動画を見て、自分もそこにいる気分になるだけでは聖体を拝領したことにはならない、ということです。

また、生きている人が対象ということは、既に亡くなった人に洗礼を授けても無効です。そもそも、相手が死んでいると分かっていて司祭が洗礼を行った時、その司祭は解職され、二度と復職できません。(吉田茂元首相は死後にカトリックの洗礼を受け、東京カテドラルで葬儀が行われたことは有名ですが、それはカトリックのルールであって正教会では考えられません)

そのようなわけで、マチ子さんの願いを叶えるためには何が何でも本人に会わなくてはならなかったのです。

 

しかし、病院は部外者の立ち入りは一切不可という方針に変わりがなく、マチ子さんに会うすべは全くありませんでした。どうしても超えられないハードルです。

病院の考え自体は極めて当たり前のことです。面会の制限に一度例外を認めてしまったら、「あの人は良かったのに何でうちは駄目なのか」と苦情になるに決まっていますし、もし院内感染でクラスターになろうものなら、責任を取らされるのは病院です。

私たちの教会も感染防止のために、本来オープンであるはずの礼拝を非公開にするなどしているのですからお互い様であり、病院を批判できません。

 

どうしようか悩んでいたところ、夏子さんから連絡がありました。5月10日に転院することになったので、病院を移動する途中なら本人とコンタクトできるというのです。つまり病院としては、病院の中に人が立ち入るのはお断りだが、移動の道中に患者が何をしようと関知しない、ということです。

そこで夏子さんと話し合い、マチ子さんを乗せた車を新しい病院に向かう途中で、鹿児島ハリストス正教会に寄ってもらうことにしました。また、マチ子さんは立ったり歩いたりするのはもはや無理なので、洗礼を聖堂の中で行うことは諦め、本人を車から降ろさずに行うことにしました。

 

洗礼式の祈祷文は長いので、夏子さんが病院にマチ子さんを迎えに行っている間、私の車のトランクに布を敷いて、にわか作りの祭壇のようにし、到着まで祈祷文を読み続けました。

f:id:frgregory:20210510195559j:plain

車のトランクをにわか作りの祭壇に

 

マチ子さんを乗せた車が到着。時間をかけられないので、マチ子さんをシートに座らせたまま祈祷文を読み上げ、洗礼と傅膏機密を行いました。

f:id:frgregory:20210510212835j:plain

マチ子さん(仮名)の洗礼

10分にも満たない時間しか許されない中で、マチ子さんを教会の姉妹に迎えることができ、安心しました。

車を停めた脇には、アジサイと白ユリの花が咲いていました。マチ子さんのキリスト者としての永遠の生命が今日から始まることを、祝っているようでした。

f:id:frgregory:20210510195630j:plain

鹿児島教会に咲いたアジサイと白ユリ



今回はこのような形で、かなりイレギュラーとはいえ洗礼ができましたが、今後も病者の洗礼や、病気の信徒の回復を祈る病者平癒祈祷などが、病院や高齢者施設への立入禁止のためできない事案が続くと思われます。自宅での介護や看取りなら問題はないのですが、今のわが国の環境では自宅療養できるお宅は限られるでしょう。しばらく今日のような病院との「知恵比べ」のような牧会をしていかなければならないと、腹をくくっています。