九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。2019年から九州全域を担当しています。

主の変容と収穫祭

昨日は人吉ハリストス正教会に巡回し、主の変容(マタイ17章他)を記念する顕栄祭の聖体礼儀を執り行いました。

 

前日の17日(土)の夕方に設営のために教会に着いたら、14日(水)の時点で草ぼうぼうだった敷地内が、すっかり綺麗になっていてビックリしました。

まさに「変容」です!

以前から執事長がシルバー人材センターに作業を頼んでいて、日程の空きがないと言われ続けていましたが、たまたま予定が空いたとのことで、この日の朝から作業していたと後で分かりました。つまり、私たち夫婦は作業員の方たちが帰った直後に教会に到着したわけです。

35℃超えの猛暑日でしたが、その中を作業してくれてありがたい限りです。

草刈り前(8月14日)と草刈り後(8月17日)

 

聖体礼儀では正教会の伝統に則り、信徒が献納したブドウなどを成聖しました。

果物の成聖

これは「新果新蔬(しんかしんそ)の成聖」といい、夏に収穫された農作物、特に果物の初物を神に感謝し、ありがたく頂くという趣旨の典礼です。

元々はキリスト教発祥の地・東地中海地方の夏の産物であるブドウが成聖の対象でしたが、後にキリスト教信仰がブドウを産しない北方地域に広がったことに伴い、リンゴなどブドウ以外の農作物も成聖の対象になりました。

そのため祈祷文もブドウだけを成聖する時と、ブドウ以外の作物も含めて成聖する時とで異なるという、面白い特徴があります。

 

私が九州に来てから、各地で夏から秋にかけて独自のローカルな祭が目白押しに行われており、またその中で収穫を祝っていることを多く目にしてきました。

しかしこれは九州、あるいは日本に限りません。

世界のあらゆる地域、あらゆる宗教で収穫を神に感謝し、祝う祭儀が行われています。

正教会においても、たまたま8月の顕栄祭がブドウの収穫期と重なっていたことで、キリスト教以前の異教時代からあった収穫祭の慣習が融合し、顕栄祭での「新果新蔬の成聖」に繋がったものと考えられています。

 

しかし、顕栄祭が「主の変容」を記念するものである以上、新果新蔬の成聖も「異教の真似事」と切って捨てることはできないと私たちは理解しています。

主の変容という出来事自体は、イエスがペトロ、ヤコフ、ヨハネの三人の弟子の前で光り輝き、その「変容」によってご自身が神の子であることを示したものです。

同様に各種のフルーツも種子や苗などが成長し、「変容」して果実となって収穫に至ります。

その植物の成長と変容自体が神の力によるものであり、その結果私たちに収穫が「恵み」として与えられている。そう考えるならば、主の変容を祝う祭で収穫を神に感謝することはむしろ理にかなっているではないか。

これが顕栄祭で新果新蔬の成聖を行うことの神学的な根拠となっています。

いわば正教会の収穫祭といえるでしょう。

 

この日の人吉教会の参祷者に農家は一軒もないので、献納された果物は自分で栽培したのではなく店で買ったものです。つまり初物ではありません。

しかし、そんなことは関係なく、猛暑の中を教会に集まった皆で成聖された果物を分けて、祈祷後に美味しくいただきました。

ささやかな収穫祭のティータイムとなりました。