九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。2019年から九州全域を担当しています。

神はその民を顧みた(ルカ7:16)

明日から一泊で福岡巡回です。

今日はそれに備えて、前任地の横浜教会所属信徒のクセニアさん(仮名)から送られてきた小麦粉で、妻が聖体礼儀に用いるパン「聖パン」を焼きました。

 

クセニアさんはウクライナ出身のシングルマザーで、一人息子のイリヤくん(仮名)と暮らしていました。

そのイリヤくんが、昨年10月2日に突然病気で亡くなってしまったのです。彼は私の娘と同い年で、享年23歳でした。

彼が亡くなったというクセニアさんからの電話を、私たち夫婦は巡回先の福岡のホテルで聞きました。

私たち夫婦はそれこそイリヤくんが生まれる前から横浜教会の信徒でしたから、小さい頃から知っていた彼が亡くなったなど、全く信じられないことでした。たった一人の息子を亡くしたクセニアさんの悲しみは勿論でしたが、私も神父であるにもかかわらず、ショックで何の言葉も口から出なくなってしまいました。まさに文字通り絶句です。

 

つい最近、クセニアさんから高級な小麦粉とモルドバの聖体礼儀用ワインが送られてきました。ちなみにワインは、同じ横浜教会の信徒でモルドバ出身のアンジェラさん(仮名)が営む食料品店で売られているものです。

クセニアさんからは「イリヤはグレゴリー神父のことを慕っていた。だから横浜での祈祷とは別に、10月2日に息子を記憶して一年祭パニヒダを献じてほしい。そして小麦粉とワインを献じるので、それを聖体礼儀で聖体にしてほしい」との言付けがありました。

クセニアさんから献じられた小麦粉とワイン

そのようなわけで彼の永眠日である明後日、福岡での聖体礼儀で聖体(キリストの体)にするために、その粉でパンを焼いたのです。もちろん約束どおり、彼へのパニヒダも献じます。

焼き上がった聖パン

さて、新約聖書の『ルカによる福音書』第7章に、イエスがナインという町で寡婦の一人息子をよみがえらせた奇蹟の話が書かれています。ちなみに正教会暦では、五旬祭後第19主日(今年は10月23日)の聖体礼儀で朗読される個所です。

 

「イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった。その母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた。主はこの母親を見て憐れに思い、『もう泣かなくてもよい』と言われた。そして近づいて棺に手を触れられると、担いでいる人たちは立ち止まった。イエスは『若者よ、あなたに言う。起きなさい』と言われた。すると死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子をその母親にお返しになった。人々はみな畏れを抱き、神を讃美して『大預言者が我々の間に現れた』と言い、また『神はその民を心にかけてくださった』と言った。」(ルカ7:12-16、新共同訳)

 

なぜイエスは一人息子をよみがえらせたのでしょうか。イエスは彼らから個人的な恩義は受けていません(文脈から見れば明らかに初対面です)。また寡婦も一人息子も特に信仰に篤かったなどとも書いてありませんし、寡婦がイエスを神と認めて息子をよみがえらせてくれるように頼んでもいませんから、いわゆるご利益で願いを叶えたということでもありません。

エスはただ、息子を亡くして一人っきりになり、悲しみに暮れている寡婦を憐れんだだけです。その憐みの念を奇蹟という形で表したことで、寡婦だけでなく他の人々も「神は悲しみ、苦しみにある善意の人間を顧みてくださる。見捨てることはない」という、神の恵みを知ることができたのです。

 

この福音のように、一人息子を亡くしたシングルマザーのクセニアさんの思いが神に届けられて、彼女に神の憐みと、天のイリヤくんに永遠の福楽があるように、福岡で祈って来たいと思います。

 

さて、クセニアさんの祖国ウクライナはロシアの侵攻を受け、現地にいる彼女の親族も大変な苦労を負ったと聞きました。

今日、ロシアは占領した東南部4州の併合を宣言しましたが、ロシアが他国の領土を軍隊で実効支配するやり方はウクライナだけでなく、アンジェラさんの故郷のモルドバジョージアに対しても行っていることです。

さらに言うなら、わが国のいわゆる北方領土は、ポツダム宣言で領有を放棄した千島列島に含まれないわが国固有の領土であり、旧ソ連(現ロシア)が不当に占拠しているものと理解しています。私は日本国民であり、学校教育でもそのように教わりました。

つまり、私たち日本国民はロシアから領土の不当な侵害を受けているという意味において、ウクライナ国民と境遇を同じくするものと私は考えます。よって今回の戦争にあたって、日本人がウクライナ人を助けるのは当然だと考え、実際そのように努めています。

 

そのロシア政府はつい最近、戦闘員を確保するために一般のロシア国民の「予備役」の招集を始めました。先の大戦中のわが国の、いわゆる「赤紙」と同じ措置です。

軍人になりたくてなった職業軍人や傭兵ならまだしも、必ずしも戦争に賛成していない一般市民も強制的に戦地に駆り立てることで、ロシアは外国であるウクライナ国民だけでなく、自国民にまで犠牲者を拡大させることになります。

上記の福音書ではないですが、息子を亡くして悲嘆に嘆く母親がウクライナだけでなく、ロシアにもたくさん生じることでしょう。

キリストは「剣を取る者は皆剣で滅びる」(マタイ26:52)と言ったと聖書に書いてあるのですから、神の名を騙って人を戦争に駆り立てる者など論外の背教者です。むしろ戦争に苦しむ善意の人々が神に顧みられ、救いを得られるように私は今日も祈ります。

それが聖書の教え、キリストの教えを守ることだからです。