九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。2019年から九州全域を担当しています。

東京での出来事&個性的なわが子たち③

月曜日は2009年に亡くなった父の十三回忌法要を営みました。

命日は7月ですが、その時は緊急事態宣言下であり、10月に延期された姪の結婚式に私たち夫婦が来ることが分かっていたので、それに合わせて母が法事を延期しました。

たまたま72年に亡くなった祖母の五十回忌と、85年に亡くなった祖父の三十七回忌が重なるので、三人一緒に供養してもらいました。

私以外に、自分の先祖や生家の親族にクリスチャンはいませんが、信仰が何であれ故人のために祈ることは当然ですし、信仰は自由ですから自分のキリスト教信仰を他人に押し付けるつもりもありません。よって私自身はキリスト教の司祭ですが、長男として生家の仏事に与ることに何の抵抗もありません。

 

生家の菩提寺は東京・府中にある東郷寺という寺です。

名前のとおり、東郷平八郎元帥を記念して昭和14年に開山。70年ほど前、戦没者に墓地を無償で提供し、祖父が戦死した伯父(父の兄)の墓を建てて以来の付き合いです。

昭和15年に建てられた立派な山門は、黒澤明の映画「羅生門」のロケ地に選ばれたことで有名です。

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東郷寺(東京都府中市

さて、今日は私の次男についてです。

彼は小さい時から物を作るのが大好きでした。また、「上から一方的に命令されて、全員一律で同じことをする」ことがとにかく嫌いでした。

学力は悪くなく、特に数学が得意だったのですが、中学時代は嫌いな教師には態度が悪く、平気で授業をサボってばかりでしたので、内申点がとにかく低いのです。神奈川県の公立高校受験では、試験より内申点が重視されるので、不利な結果となりました。

高校に入ってからも頻繁にサボるので、3年生の時に出席日数が不足。妻が校長に呼び出されて「このままでは原級留置(いわゆる留年)になります」と言われました。私は彼が高校を卒業できなくても大学を受けられるよう、高校卒業認定試験を受けさせようと真剣に思ったくらいです。結局ギリギリで卒業できましたが。

高校では文系クラスでしたが、「ものづくり」がしたいということで工学系の学部ばかり受けました。いわゆる「理転」ですが、結果は当然のように全滅。30万円近い受験料が露と消えました。

高校で履修しなかった数学Ⅲと物理を自宅浪人で独習し、学科も情報工学系に絞って翌年再受験しました。それでも合格できたのは東京理科大学の夜間学部だけでした。

 

入学後は朝7時から午後4時までバイトし、夕方から夜にかけて大学で情報工学を学びました。

彼は3年生の時、3Dプリンタを備えたバイト先の貸し工房で、自分でもモノを作って売る起業を考えました。大学に入学したら、スポーツであれ文科系であれ、趣味の世界のサークル活動にうつつを抜かす人が多いでしょうが(私自身もその一人)、彼はビジネスが趣味になったわけです。

最終的に彼が商品化して販売したのは、電車の中でぐっすり居眠りするための、リュックサック一体型の枕。4年生の時点では商品化が間に合わず、わざと留年して実現させました。

そして、横浜市の起業家コンクール「横浜ビジネスグランプリ」で、優勝は逃したものの上位10人のファイナリストを受賞。

その辺りの開発話は私がくどくど書くより、本人がnoteで公開していますので、それを読んだ方が面白いです。

 

昨春、卒業して就職人気ランキング1位の家具販売チェーンに入社しましたが、「大企業の新入社員ってどういう仕事をするのか関心があったんで入社してみたけど、あまりにも下らないので辞めた」(本人談)と言って3か月で退社。学生時代のバイト先の一つだったITベンチャー企業に転職しました。

入社3か月で、土木・建設分野のITソリューションの新規事業の立ち上げを任され、今は社会人2年目ですが、技術者5人を率いるグループマネージャーになっています。

 

日曜日に結婚した姪の妹は、同じ情報工学で某国立大学の大学院にいますが、妻が次男に従妹みたいに院に行く気はなかったのかと聞いたら「俺、勉強より働く方が好きだから」という明確な返事。

団体行動ができないサボリ魔で、高校を留年しかかった子が、「情報技術と起業」という趣味(?)を見つけたら大化けしてしまったわけです。私自身はド文系なので、彼が自分の仕事について言っていることを聞いてもチンプンカンプンなのですが…

 

三日間にわたってわが子の紹介をしましたが、これは「子どもを全員東大に入れました」という類の、子ども自慢に名を借りた自分の自慢をしたかったのではありません。子育てとはわが子を親の理想どおりにすることと考えたら、私の理想どおりの道を歩んだ子は誰一人いませんので「子育て失敗」ということになります。

私の理想とは、長男は福祉専門職の公務員として、長女は福利厚生の手厚い大病院の看護師として、次男は大企業や金融機関に就職して、長く安定した生活をしてほしいということです。

しかし、そのずっと懐いていた公務員や大企業を理想と思うこと自体がオワコンで、自分はとんでもない時代遅れの人間だったということが、社会で伸び伸びと生きているわが子たちと会って思い知らされたような気がします。

日曜日に夕飯を食べながら、次男が「俺たち(兄弟)三人が組んだら楽勝で会社できるんじゃね?」と言いました。何の業種かはともかく、確かに総務・経理は長男、営業は長女、企画・システムは次男が受け持てば、かなりいい線を行きそうです。もし本当にそれが実現したら、彼らと違って何の特技も会得せずに年齢ばかり重ねてきた私のような人間は、年老いた単純作業員としてわが子に雇ってもらえたら嬉しく思います。