先々週の福岡巡回の前に、わが国の古代文化の地の一つである宗像(むなかた)を訪ねました。
宗像を支配した豪族・宗像氏は、弥生時代から続く「海人族」の長です。彼らは玄界灘の海運と漁業を古代から支配してきました。
また、宗像氏は日本最古の神社の一つである宗像大社の宮司を世襲し、4世紀から古代祭祀を取り仕切ってきました。4世紀とは、なんとローマのキリスト教の国教化と同時代ということになります。
そのような背景があって、宗像大社をはじめとする宗像氏の関連史跡は、2017年にユネスコの世界遺産に登録されました。
まず宗像大社を訪ねてみました。
宗像大社はアマテラスとスサノオの間に生まれた三人の娘、宗像三女神を祀る神社です。本土の辺津宮、沖合の大島にある中津宮、さらに沖の無人島・沖ノ島にある沖津宮の三宮で構成されていますが、通常は辺津宮のことを宗像大社と呼ぶようです。
本殿は1578年、拝殿は1590年の建立で、国の重要文化財に指定されています。とても荘厳です。
社殿の裏手の石段を上って行くと「高宮祭場」があります。
森の中に石を積み上げてあるだけの場所ですが、今日イメージされる神社の社殿が形成される以前の、古代の祭儀場です。
私たちの信仰も教会堂を初めから前提としていたわけではなく、エルサレムの神殿が造られる以前は幕屋、さらにそれ以前の創世記や出エジプト記の時代は屋外の祭壇で祈祷が行われていました。そういうものと相通じる「原始信仰」の息吹きが伝わってきました。
訪問したのは10月2日でしたが、ちょうど宗像大社の例大祭の時期に当たっていたので、拝殿で神事が行われていました。
さて、私はクリスチャンですから、宗像大社に来たのは参拝するためではありません(笑)。展示されている国宝を見るためです。
上記の沖ノ島は本土から60㎞離れた絶海の孤島で、「神宿る島」として神職しか上陸することを許されない聖地です。
ここで4世紀から9世紀の間、古代祭祀が行われてきました。
1954年から71年にかけて沖ノ島の発掘調査が行われ、3世紀から9世紀にかけて作られた宝物類が8万点も発見されました。
それらは全て国宝に指定されましたが、一か所に所蔵されていた国宝の点数としてはもちろん日本一です。
その国宝は境内の神宝館で見ることができます。一部だけとはいえ、膨大な数です。
時代から考えて、これらは当時の日本人が作ったものではなく、朝鮮半島や中国大陸から手に入れたものであるのは明らかです。しかし、現代のようなハイテク技術などない1500年以上も前に、海の向こうと交易して宝物を入手できた海人族・宗像氏の航海技術と財力には驚くばかりです。
ボロボロに錆びていたので写真には撮りませんでしたが、鉄製の刀剣類もたくさんありました。大和朝廷が青銅器を使っていた時代に、宗像氏は鉄器・鉄剣を用いていたのです。政治的には大和朝廷に服従していたとはいえ、古代の宗像は先進的な技術力と軍事力を持つ、一種の独立国的な存在だったのではないかと想像します。
続いて、7㎞ほど離れた新原・奴山古墳群に向かいました。
これは5世紀から6世紀にかけての宗像氏の墓所で、現在41基の古墳の存在が確認されています。当初はもっとたくさんありましたが、時代の変遷の中で壊されて農地に転用されてしまったそうです…
駐車場になっている空き地から全体を見渡すことができ、さらに古墳群を歩いて見て回れるようになっています。
古墳のサイズは大小さまざまですが、大きな前方後円墳(上の写真の3枚目)もありました。重機のない時代に、人の手でこれだけのものを造成するわけですから、そのファミリーに多くの人を動員できる権力と経済力がなければ造れないはずです。
古墳は奈良県だけでなく、あちこちで発見されてはいますが、こんなにたくさんの古墳を築いた古代宗像氏の権勢を、ここに来てさらに実感しました。
九州には日本の古代史を物語る場所が至るところにありますが、宗像もその中でもハイグレードだと思いました。歴史の好きな方にはぜひ来訪をお勧めします。