日本古代中世史において、博多はわが国の海外への玄関口でした。
1400年前、7世紀の飛鳥時代には遣隋使・遣唐使の船が博多から大陸に向けて出帆しています。
以後、中国大陸や朝鮮半島からさまざまな文化や物品が、博多を経由してわが国にもたらされました。平清盛は博多を拠点にして、日宋貿易で財を成したことは良く知られています。
そもそも西暦57年に漢の皇帝から送られた「漢委奴国王印」が、江戸時代に博多沖の志賀島で発見されています。弥生時代、博多周辺に王朝があり、中国と外交関係を結んでいたわけです。
そこで日曜日に福岡伝道所での聖体礼儀の後、博多の旧市街に行って歴史的な建物を見て回ることにしました。
博多駅から承天寺通りを行くと、2014年に建てられた博多千年門が出迎えます。旧市街への入口です。
門から先は歩道も日本庭園風に整備されています。
通りの名の由来となっている承天寺は、宋に学んで帰国した臨済宗の僧侶・聖一国師弁円が1242年に建てた寺です。弁円は後に京に上り、東福寺を開いています。
弁円は宋から麺類と饅頭の製法を持ち帰り、わが国で初めて承天寺で作りました。また、弁円と共に宋に行った商人の満田弥三右門は、新たに持ち帰った唐織の技術をもとに博多織を創出しました。
そこで寺の境内に「饂飩蕎麦発祥之地」「御饅頭所」「満田弥三右門」の三つの記念碑が建てられています。
承天寺通りから細い御供所通りに入って歩くと、聖福寺の荘厳な伽藍に着きます。
聖福寺は1195年、わが国の臨済宗の開祖・栄西が建てた日本で最初の禅宗寺院です。境内全域が国の史跡に指定されています。
本堂である仏殿の前には柱が立てられ、仏殿内の本尊と綱で結ばれています。この柱に触ると本尊に触れたことになり、ご利益があると書いてありました。面白い教えだなと思いました。
境内には石で現代風な図形が造られていますが、これも石庭とのこと。京都などで見慣れた庭園だけが禅寺の庭ではないわけです。
それにしても中国から伝わった禅宗の寺が京都でも鎌倉でもなく、最初に博多に建てられたということが、この町の持つ国際性を物語っているように感じました。
東長寺は806年に唐から帰国した空海が初めて開いた寺。聖福寺が日本最初の禅寺なら、こちらは日本最初の密教寺院です。
目を引く真っ赤な五重塔は2011年に建てられたばかり。
古い六角堂は1842年建立。福岡市文化財に指定されています。
福岡藩主の黒田家の菩提寺は臨済宗の崇福寺ですが、藩主のうち二代忠之、三代光之、八代治高の三人はこちらに墓があります。戦国時代に焼けて荒れ果てていたこの寺を忠之が再興し、光之も寺領を寄進して貢献したそうです。
東長寺にはさらに、1992年に完成した福岡大仏があります。高さ10.8mの木造では日本最大の仏像ですが、撮影禁止です。
祇園まで来たらぜひ見たかったのが博多の総鎮守・櫛田神社です。
創建は奈良時代の757年。現在の立派な社殿は、1587年に豊臣秀吉が博多を復興した時に建てられたものです。
博多で一番の祭である7月の博多祇園山笠は、この神社の例大祭です。境内には祭の山車「飾り山」が展示されています。
ちなみに祇園山笠は、承天寺住職の弁円(前述)が疫病退散祈願のために始めた祭。神社の祭を僧侶が始めたとは何とも面白いです。
櫛田神社の参道には、福岡市が明治時代の町家を移築して資料館や土産物店として運営している博多町家ふるさと館があります。
建物は市の文化財に指定されており、お金を使わずにただ見るだけでも一見の価値があります。
トータル2時間ほどの散策でしたが、とにかく「日本初の○○」というものが多く、日本史の中で博多が持つ国際性・先進性を改めて実感しました。
今後も九州各地に生き続けている歴史と文化の遺産を探訪してみたいと思っています。