昨日も先週同様、福岡の九州北ハリストス正教会で聖体礼儀を執り行いました。
聖体礼儀に引き続き、9月に永眠したナデジダさん(仮名・日本人)の四十日祭(永眠後40日目の記念)パニヒダを執り行い、他の参祷者たちと共にお祈りしました。
日本正教会はロシア正教会のスタイルを踏襲して、パニヒダの時は専用の燭台(日本では「パニヒダ台」と呼んでいる)を用いるのですが、福岡ではまだ備え付けていません。もっともギリシャやルーマニアなどのバルカン地域ではパニヒダ台という概念自体がないので、正教会としておかしいわけではありません。
ただし、永眠者を記憶する祈りの時は糖飯(コリヴァ)を用意するのが正教会の世界共通の習慣ですので、今回も妻が作ってセットしました。
ナデジダさんは久留米市から旧福岡伝道所に長く通い、会計の奉仕をしてくださっていた信徒でしたが、昨年ガンが見つかって手術を受け、療養生活に入りました。
彼女の手術のすぐ後、新教会設立の話がトントン拍子に進み、既に書いているように昨年秋には用地を購入して、今年2月に今の教会を開設しました。
ナデジダさんの術後の経過は順調と聞いていて、実際に彼女との電話でも「早く新しい教会に行きたい」と言っていたので、こちらも安心していました。
しかし8月下旬、隣に住む娘のソフィヤさん(仮名)から「母の余命があと数日」との電話があり、驚いてしまいました。まさに晴天の霹靂です。
ガンが再発し、急速に進行していたとのことでした。
ソフィヤさんから入院先の病院名を聞き、翌日病室を訪ねて枕元で病者平癒祈祷(神が病人を守り、力づけるよう願う祈り)を献じました。
本人はかなり衰弱していましたが、かすれる声で「主憐れめよ」(キリエ・エレイソン。連祷の時に信徒が唱和する文言)と唱え、懸命に十字も描いていました。
その週末は二泊三日で東京に行く予定で、既に航空券も買ってありましたがキャンセルしました。フライト直前のキャンセルで、運賃はあまり戻りませんでしたが、そんなことは言っていられません。
上京のため週末の聖体礼儀も福岡では予定していませんでしたが、急遽執り行うことにし、ナデジダさんの容態も含めて執事長経由で信徒にメールで告知しました。
直前の連絡だったにも関わらず、日曜日には10人ほどが参祷し、聖体礼儀に引き続いて信徒の皆さんとともに病者平癒祈祷を再度執り行いました。(神への願いですから、病者本人がその場にいるいないは問いません)
当初の主治医の見立てでは、この日には既に亡くなっていてもおかしくなかったのですが、皆の祈りが神に届いたのか、ナデジダさんはこの後2週間も持ちこたえられ、その間に海外在住者を含むたくさんのご親族が見舞いに来て、会うことができたそうです。
ナデジダさんの葬儀は私が久留米に行って執り行いましたが、福岡から信徒たちが参列したことは言うまでもありません。
私自身は当初の予定通り東京に行っていたとしても、帰って来た時点でナデジダさんは存命だったのですから、東京行きの予定をキャンセルする必要はなかったと言えるかも知れませんが、それはあくまでも結果論です。皆の祈りがなかったらナデジダさんは医師の見立て通り、早く亡くなっていたと考えざるを得ません。
さて、私たちが日本語で「教会」と呼んでいるものは、もともとギリシャ語で「エクリシア」(呼び集められた者たち)という単語です。つまり教会とは建物ではなく、そこに集う「人々」を指しています。
さらにこれは単なる社会的な組織ではなく「一つの体」である、というのが聖書に基づくキリスト教的な理解です。
たとえばコリント前書12章には、このように書かれています。
「体は一つでも多くの部分から成り、体のすべての部分の数が多くても、体が一つであるように、キリストの場合も同様である。(中略)体は一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。(中略)一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が喜ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。あなたがたはキリストの体であり、また一人ひとりはその部分です」(コリント前12:1-27)
つまり教会、言い換えればキリストへの信仰を共有して人が集まることは、キリストを頭とする一つの体なのであって、一人ひとりの構成員は目や耳や手や足といった各パーツに相当する。体の各部は必要があって備わっているのだから、それを勝手に切り捨てることはできないし、そのパーツの一つが苦しんだり喜んだりしたら、全身が共感するのは当然である、ということです。
今回は聖書に記されたように、まさに教会が一つの体であることを、祈りを通して示した出来事でした。
人間の体にとって健康を守ることが必要なように、私が預かっている「キリストの体」である教会も、ずっと健全に守っていきたいと思っています。