9月27日(ユリウス暦の9月14日)は、正教会では十字架挙栄祭(Elevation of the Holy Cross)の祭日です。
これは4世紀、イエスが掛けられた十字架がエルサレムで、エレナ皇太后(キリスト教を初めて公認したコンスタンティヌス帝の母)によって発見されたことを記念する祭です。
十字架がキリスト教のシンボルであることは誰でも知っていますが、教会はそれをただ単にデザイン上のこととは考えません。
キリスト、つまり神がいつか死ぬ私たちと同じ人間となってこの世に来られて、十字架上で死んだ。それは私たちの罪の赦しを実現するために、子羊の代わりに自らを生贄として捧げたのである。そして、その後の復活によって、それを信じる私たちもアダムとエヴァ以来の人類の死の原因である罪から解放され、キリストと共に永遠に生きる者となる。これがキリスト教の考えの根本です。
よってキリストがつけられた十字架とは、処刑のための道具から、人類が永遠に生きる道筋をつけた道具に変わったと理解しているのであり、典礼においてその十字架を讃美するという考えに繋がっているのです。十字架挙栄祭の目的は、この「十字架への讃美」にあります。
そのようなわけで、十字架挙栄祭では十字架を花で飾りつけて聖堂の中央に置き、聖体礼儀の最後に伏拝(ひれ伏して讃美すること)を行います。私の管轄教会では、毎回妻が飾りつけのフラワーアレンジメントを制作しています。
福岡では祭日当日ではなく、日曜日に合わせて昨日に十字架挙栄祭の聖体礼儀を行いました。
さて、その前日の土曜日、2月に福岡新教会をオープンして初めての洗礼式を執り行うことができました!
被洗者のエレナちゃん(仮名)は3年前、私が結婚式を司式したラファエル兄とエカテリナ姉(ともに仮名)の間に今年6月に生まれた待望の赤ちゃんです!
偶然ですが、赤ちゃんにつけた洗礼名エレナは、前述の十字架の発見者であるエレナ皇太后にちなむものです。
エカテリナ姉はオーストラリア出身ですが、ご両親のトニーさんとベスさんにとっては初孫なので、はるばるオーストラリアからお二人が来てくださいました。
私たち夫婦も7月に初孫が生まれたばかりですが、東京出張の時に一度会ったきりです。ですので、今回は新教会での初めての洗礼式ということに加え、海の向こうから孫の顔を見に訪ねてきたジジババのお気持ちを思い、胸が熱くなりました。
さて正教会の洗礼式では、新約聖書からローマ人への手紙の第6章を朗読します。これはパウロが、キリスト教信仰における洗礼の意味について書いた個所です。
「私たちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかる者となりました。それは、キリストが父の栄光によって死者の中から復活させられたように、私たちも新しい命に生きるためなのです。もし、私たちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。私たちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています」(ロマ6:4-6)
上記はその一部ですが、要約すれば、キリストの死と復活を信じて洗礼を受ける意味とは、自分自身がキリストのように十字架につけられる、つまり「古い自分」が死に、死から復活したキリストと共に永遠に生きる「新しい自分」が生まれてくることだ、となります。
つまり、クリスチャンにとって洗礼とは単なる冠婚葬祭の儀式ではなく、有限から永遠への「自分という存在のリセット」なのです。
正教会において幼児洗礼を推奨する理由は、まさにその子が一日も早く「キリストと共に永遠に生きる新しい存在」になってほしいと考えるからです。
エレナちゃんの洗礼式が一昨日だったのは、純粋にトニーさんとベスさん夫婦の来日スケジュールの都合だったのですが、しかしよりによって主の十字架と復活を記念する祭日に、上記のようにキリスト者の十字架と復活に繋がる洗礼が重なったのも、神の導きでしょう。