いよいよ9月も終わりに近づき、司祭館の向かいの田んぼでも今日から稲刈りが始まりました。
さて、先週末鹿児島に巡回しましたが、土曜日にジョニー・デップ主演の映画「MINAMATA」を見てきました。
昨年のベルリン国際映画祭特別招待作品で、わが国では9月23日から上映開始されました。
私は上映を心待ちにしていたのですが、都会と違って人吉には映画館が一軒もなく、映画のロードショーを見るには車で片道1時間以上かけて、熊本市か宇城市まで出なくてはなりません。
そこで公開直後の週末は鹿児島巡回が決まっていたので、鹿児島市内の映画館と上映時間を調べて、見に行くことにしたのです。
映画でデップが演じる主人公は実在の報道写真家、ユージン・スミス(1918-1978)です。
時は1971年。ユージンは太平洋戦争中、従軍カメラマンとして名を馳せたものの、戦後は仕事がなくなって、酒浸りの生活をしていました。その彼に、日本のミナマタという漁港で、チッソという大企業の工業廃水が原因と思われる病のため多くの人が苦しんでいる。不当に扱われている被害者を救うために、取材して事実を明らかにしてほしいとの依頼が来ます。
現地の写真を見て、報道者としての魂に再び火がついたユージンは、水俣で取材活動に取り組みました。「写真に撮るな」という被害住民たちに戸惑い、またチッソ関係者の執拗な妨害に遭って、一時は彼の心は折れそうになります。しかし、使命感に燃えて、苦労を重ねながらついに写真を「LIFE」誌で発表。日本の風土病として隠蔽されてきた水俣病を、「公害」という人類共通の社会問題として世界に発信した、というドキュメンタリーです。
映画の場面でも出て来ましたが、ユージンはチッソの社員に瀕死の重傷を負わされ、それがもとで78年に若くして亡くなりました。75年刊行の写真集「MINAMATA」は遺作となったのです。文字通り報道に命を懸けた生涯といえるでしょう。
この映画はハリウッド映画で、登場人物のほとんどは日本人俳優ですが(従って日本人同士で話す場面の台詞は全て日本語)、実際の撮影はセルビアとモンテネグロで行われました。現在の日本では70年代の風景を撮ることが困難だったからとのことです。
セルビアもモンテネグロもセルビア正教会の国であり、私は以前毎年のようにセルビアを訪ねていましたので、映画のロケシーンも「見慣れたセルビアの風景」という感じであり、また民家のセットも西洋風の建物ばかりで、昭和の日本には全く見えませんでした。いかにも「アメリカ人がイメージする日本」という印象です。しかし、そういうツッコミどころを抜きにして、ドキュメンタリーとしてのストーリーの迫真性は大変良かったと思いました。
劇中でユージンは、初めは被害者を「報道の被写体」として接して撮影を拒否されていました。しかし、自身もチッソからの不当な嫌がらせを受ける中で、被害者と「苦しみ」を共感し、仕事としての報道ではなく、彼らに寄り添おうという姿勢になるうち、彼らも心を開くようになったという描写は、特に良かったポイントです。
また、國村隼演じるチッソの社長が「チッソの排水に含まれる水銀の『ppm』は極めて微量であり、環境に大きな変化を及ぼすものではない。チッソは化学品メーカーとして日本経済に大きな貢献をしてきた。水俣病患者の存在はその日本経済において『ppm』に過ぎない」という趣旨の台詞を言う場面があります。「社会全体」とか「日本経済」に対して「一人ひとりの人間の尊厳」は大した問題ではないという視点は、現在の社会にも存在するものです。
水俣病自体は国の認定から60年以上が過ぎ、多数の患者がまだ存命であるにもかかわらず、忘れられた問題になりつつあります。しかし、世界にはまだ公害問題は存在しますし、そもそもわが国の福島第一原発事故も地震が原因とはいえ、企業が多くの人々の生活に影響を及ぼしている意味において「現代の公害」といえるでしょう。
その意味で、水俣病とユージン・スミスを通して、「社会の利益」と「人間の尊厳」のせめぎ合いという現代にも続くテーマを描いた本作は、大変意義があるように私は思いました。
この映画の音楽は坂本龍一が担当しています。その坂本のピアノ演奏によるサウンドトラックCD付の特製プログラムが、部数限定で映画館で販売されていました。早速購入し、CDの方は車のオーディオに入れて、いつも聴きながら運転しています。