九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。熊本県人吉市から情報発信しています。

東日本大震災から10年・自然災害の被災地住民として

東日本大震災から10年となりました。

今日は14時46分から、人吉ハリストス正教会で震災犠牲者の方たちのためにリティヤ(永眠者を記憶する祈祷)を献じました。

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東日本大震災の永眠者へのリティヤ

2011年3月11日は、その年の大斎の最初の金曜日でした。

当時の任地の横浜ハリストス正教会で10時から13時半まで大斎初週祈祷を行い、信徒たちと遅い昼食を取りました(聖体礼儀の時は起床から祈祷終了まで、何も飲食できない)。その週は、朝夕合わせて5時間の祈祷を毎日続けて来たので、猛烈に疲れて14時半頃から横になって休んでいました。

すると、揺れというより体をゆっくり円状に回すような変な感覚になり、しかもそれが1分くらい続きました。初めは地震とは思わず、脳卒中か何かを発症したと本気で思いました。

テレビをつけて、初めて東北で大地震が発生したと分かりました。

当時住んでいた南区の自宅と子どもたちが心配なので、私は教会に残り、妻が車で帰宅しました。しかし、南区では停電が発生しており、携帯も繋がらなくて、電気もガスも止まった自宅にいる妻と連絡が取れた時は夜中になっていました。

また、地震発生時点で教会に信徒が一人残っていましたが、鉄道が止まって帰れなくなり、信徒会館にお泊めしました。

 

日本正教会は歴史的に、旧仙台藩だった地域で重点的に布教が行われたため、宮城・岩手両県に教会が集中しています。それらの地域の教会や信徒の被害状況が分かるまで1週間ほどかかりました。

 

震災後、教会として東北の被災地支援のためにチャリティバザーを定期開催することにしました。現地の状況を見て来なければ話にならないので、信徒の有志を集め、2012年8月に石巻市、2013年に岩手県山田町の教会を訪ねました。

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かつて山田ハリストス正教会が建っていた場所

震災発生から1年、2年と経っているのに、どこを見ても荒涼とした原っぱが広がっており、それはかつて住宅地や商店街だったことに衝撃を受けました。

山田町では教会堂が跡形もなく消えてしまい、近くの空き地に建てられたプレハブの仮教会で信徒から話を聞きました。

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山田ハリストス正教会の仮会堂(2013年9月)

この時から5年経ち、2018年12月に山田教会の新会堂が落成した時は本当に嬉しくて、妻を成聖式に行かせました(日曜日なので私はやむなく辞退)。東日本教区以外の教会関係者の出席は妻だけで、何で東京教区の人が来るの、と向こうの教区の人々から変な目で見られたそうです。復興を喜ぶのは現地の当事者だけじゃなくて支援した側も同じだろ、と妻から話を聞いて思いましたが。

 

それから1年足らずで突然人吉に異動。さらに9か月して未曽有の豪雨災害に遭遇。自分の側が被災地の住民になってしまいました。

 

東日本大震災から10年経って、それなりにインフラの上では復興が進んだのは事実ですが、実際の現地の人々の生活が以前と同じに戻ったとは到底思えません。

私が住む熊本県も、2016年の大地震からの復興がまだ道半ばのところ、さらに人吉で水害の被害が上乗せされてしまいました。

今日の報道番組では東日本大震災を忘れてはならない、風化させてはならないと繰り返し訴えていましたが、それは熊本県も同じです。しかしこちらの地震も水害も、被害が地域に与えた影響は相当な大きさだったにも関わらず、報道の取扱いは東日本と比べて圧倒的に小さく、よって人々から忘れられる可能性は当地の方がより大きいのではないかと思っています。

今日、私は被災地の一人として正しい情報を発信し続けながら、復興に協力していきたいと、自分の中で誓いを新たにしました。