九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。2019年から九州全域を担当しています。

関東大震災から100年 ニコライ堂も焼失

今日は「防災の日」。今年の防災の日は大正12(1923)年9月1日に発生した関東大震災から100年の節目の日となります。

 

1891年に建立され、東京で最大規模の建築物として観光名所だったニコライ堂も、この時に焼失しています。

関東大震災で焼失したニコライ堂(1923年)

新築当時のニコライ堂(1891年)

この出来事については、2年前の9月1日に書いています。

 

frgregory.hatenablog.com

 

私の前任地は横浜で、教会とは関係ありませんが母も横浜の生まれです。

関東大震災震源相模湾だったため、震源に近い横浜は最も被害の大きな地域でした。

 

復活祭後は正教会の伝統に則り、信徒家庭のお墓に詣でて墓地祈祷を行います。そこで被葬者の名前を全て読み上げるのですが、明治からの横浜在住の信徒家庭では墓碑に書かれた命日が「大正12年9月1日」となっている被葬者が実に多く、改めて関東大震災の影響の大きさを感じます。

 

また私の母の生家は終戦まで馬車道にあり、横浜で一番の大店の米店でした。

しかし、店は関東大震災で被災し、当主だった曽祖父も亡くなりました。

幼い大叔父(祖母の弟)が家督を継ぐ形で、番頭さんらで店を復興しましたが、大叔父は若くして病死。急きょ祖母が婿養子を迎えて後を継ぎました。

そこに生まれたのが母です。

もっとも昭和20年の横浜大空襲で店は再び全焼し、敷地も戦後に米軍に接収されて母の実家は何もかも失ってしまいました。つまり、残念ながら母が大店のお嬢さんだった年数はほとんどありません。

話が横にそれてしまいましたが、母の生家、あるいは母自身の運命も間接的ながら関東大震災に変えられてしまったと言えるかも知れません。

 

わが熊本県は7年前に大地震に見舞われましたし、さらに九州では台風や豪雨などの自然災害は日常茶飯事です。

実際、今住んでいる人吉はたった3年前、大水害で壊滅的な被害を受けました。

そのようなわけで今日の「防災の日」は、まったく他人事ではなく、自分のこととして意識しています。

 

正教会のリティヤという祈祷にも、神への祈願として「この町とおよその町と地方が、飢饉、疫病、地震、水難、火難、剣難、外攻、内乱より護られ」という文言が入っています。災害と戦争の脅威は古今東西を問わず、人が憂いているものといえるでしょう。

今日のところは戦争については言及しませんが、まずは災害への備えを怠りなくしていきたいと思っています。