九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。2019年から九州全域を担当しています。

お世話になった方のお見送り

9月8日(木)に英国のエリザベス女王薨去されたとのニュースが世界を駆け巡りました。

薨去のつい2日前の9月6日には、新たに選任されたトラス首相を任命する姿、つまり公務に就いている姿が報じられていました。96歳とはいえ、とても死期の近づいた人には見えません。

まさにわが国でいうところの大往生でしょう。

 

英国王室はロマノフ家と縁が深く、また女王の夫君・故フィリップ殿下はギリシャの王子でしたので、正教会とも接点があります。

そのあたりのことは以前書いているのですが、エリザベス女王薨去にあたって、いつかまた記したいと思っています。

ちなみに私の妻の洗礼名も英語表記ではElizabethですが、さすがに全く関係ない話ですね…

frgregory.hatenablog.com

 

さて、エリザベス女王とは全く関係なく、一昨日から昨日まで、前任地の横浜ハリストス正教会で行われた通夜と葬儀に出席していました。

8月31日に横浜教会のキリル長輔祭(仮名)が永眠したのです。

横浜ハリストス正教会

 

キリル長輔祭は大手製鉄会社のN社に勤めながら、昭和20年代からニコライ堂で副輔祭、さらに輔祭として奉仕していました。

日本正教会は戦後、GHQの命令で米国人の主教の管下に置かれ、1972年のウラジミル府主教の帰米まで27年間も「戦後体制」にありました。キリル師はまさにニコライ堂戦後史の生き証人です。

 

キリル師はニコライ堂で20年以上、鐘つきをして来られ、それが彼の最大の思い出だったようです。

1973年に所属がニコライ堂から横浜教会に移り、鐘つきを当時神学生だったイオアン長輔祭(仮名・故人)に引き継ぎましたが、それが当時の週刊誌に写真入りで掲載されたことがあります。

ニコライ堂の鐘楼に上る若き日のキリル輔祭(1973年)

私は95年、横浜教会で信徒になりましたが、当時会社を定年退職したばかりのキリル師から堂役の所作についてしっかりと教えてもらいました。

 

その後、私は会社を辞めて神学校に入り、図らずも2009年に横浜教会の管轄司祭になりましたが、キリル師は80代になってもなお、輔祭として私を助けてくださいました。

しかし、目の病気が進行してほとんど見えなくなり、輔祭職を続けられなくなって2013年に休職(聖職者を引退)しました。

キリル長輔祭が立った最後の聖体礼儀(2013年10月)

私が2019年に九州への異動を告げられた時、出発の前にとにかくキリル師夫妻に会いに行きたいと思い、私たち夫婦で訪ねました。キリル師は聖職を辞めた後、急速に認知症が進んで高齢者施設に入っており、私たちのこともよく分からなくなっていましたが、彼にお会いできたことで心置きなく九州に旅立つことができました。

それが生前のご夫妻に会った最後の機会となりました。

 

そのようなことで、キリル長輔祭には20年以上もお世話になったのですが、ご本人は至って明朗快活で腰が低く、誰からも愛されるキャラクターでした。

彼はサラリーマンとして定年まで勤めあげ、ご家族を養い、かつ日曜日は休まず60年も教会に奉仕されたのです。そのような立派な経歴を重ねている人はえてして、下の世代の人々に対して偉そうにふるまうものですが、キリル師には一切そのようなことがありませんでした。

キリル師の話す見事な(?)江戸弁は、まるで落語の登場人物のようでした。「ひ」を「し」としか発音できず、横浜教会の聖堂の名称「生神女庇護聖堂」をいつも「生神女シゴ聖堂」と言うので、それで皆が大笑いさせられたのは良い思い出です。

威張らず、見栄を張らず、面倒見がよく、そして何よりも明るい…もしかしたら、イエス自身がこのような人物だったのではないかとさえ思いました。

私自身はなかなかキリル師の域に達することができません。

 

エリザベス女王は昨年、フィリップ殿下が薨去された後、急に弱られたそうで、結果として後を追われました。キリル師の奥様もつい先月の8月2日に亡くなり、その同じ月にキリル師は後を追うように永眠されたのです。

教会にも家族にも、最後まで愛を貫いたキリル長輔祭を、これからも模範にしていきたいと思っています。

キリル長輔祭の葬儀