昨年7月4日に発生した人吉の大水害から、今日でちょうど半年となりました。
街の復興状況を見に、人吉市で一番の飲食店街だった紺屋町に行きました。ちなみに、ここは土地が少し低くなっているためか、水害では最も被害が大きかった地域の一つです。
水害直後の写真は以下のとおりです。
まず、人吉で一番古い飲食店である、明治31年(1898年)創業の「丸一蕎麦屋」が、つい最近仮店舗で営業再開したと聞いたので寄ってみました。
元々の店舗は今年3月再開予定で改修中。仮店舗は事務所の入口のようなドアを入り、細い廊下の先に造られていました。
厨房の設備が十分でないせいか、注文してからかなり待たされましたが、そばの汁は以前と変わらず、九州風の甘めで薄口の味。
私は九州出身ではないし、そんなに頻繁に入った店でもないですが、懐かしい気持ちがこみ上げてきました。
食後に歩いて街の様子を見ました。
修築の工事が入っているところはごくわずかで、爆撃の後のように破壊されて空き家になった店舗が並んでいます。
球磨焼酎の蔵元はたいてい街外れにありますが、唯一中心部にあった「渕田酒造場」も、廃墟のままです。
創業から130年以上経つ老舗で、建物も明治時代のままの趣ある町屋ですが、将来事業を再開するにしても人吉からは出ていくと、先日ニュースで社長が言っていました。
人吉球磨以外の場所に行ったら、たとえ以前と同じ焼酎を造ったとしても「球磨焼酎」ブランドを名乗ることができません。しかし、今後も災害で再び設備を失うリスクがある以上、たとえ先祖代々受け継いだ店の暖簾とブランドを捨てることになっても仕方ないと、社長は力なく語っていました。
放置された昔からの甕を見て、悲しい気持ちになりました。
人吉はもちろん、九州で有名な鰻の名店「上村」と、隣のライバル店「しらいし」もまだ修復されていません。
鰻は人吉を代表する名物だったのですが、荒れ果てた店舗を見る限りでは、再開は相当先だと思われます。
上村の思い出は以前ブログにも投稿しましたが、本当に再開を心待ちにしています。
たった200mほどしか歩いていませんが、こんな無残な状態のままの人吉で自分ができることは何か…ひたすら考えています。