今日は熊本ハリストス正教会の巡回日です。
朝、玄関に出てみると、いつもそこにいたはずの犬の姿がない。
昨日死んだのだから当たり前だとはわかっているのですが。
8月頃から犬の室内でのお漏らしが酷くなったので、ペット用の防水カーペットを購入したのが9月10日。
それを玄関に敷き詰めて犬専用スペースに改造し、私たち家族は廊下で靴を脱いでいたのですが、たった1か月で用済みに。
猛烈に空虚な気持ちに襲われました。
気を取り直して、熊本教会ではいつも通りに聖体礼儀を執行。
今はコロナ感染防止のため、教会での祈祷後の会食などは自粛していますので、祈祷が終わると流れ解散になってしまいます。
もちろん祈祷が一番大事であることは分かっていますが、信者さんと言葉を交わすことがほとんどないまま、巡回先から帰るのは、何だか事務的に牧会しているような気持になって、どうもモヤモヤします。
それで帰宅して玄関の戸を開けると、行きと同じく再びガランとした光景。そこに買ったまま、もう減ることのないドッグフードが置いてあったりするわけで、空虚な気持ちにさらに拍車がかかりました。
私も妻もこれまで動物を飼ったことがなかったため、よく理解できていなかったのですが、これがペットロスというものでしょうか。
死んだ犬のことを思い出して泣けてきたりするのです。
こういう仕事をしているので、自分の親戚や知人だけでなく教会関係者も含めて、これまで何百人という「人の死」に接してきましたが、それに対してこのような感情になったことはありません。
キリスト教の死生観でいえば、人間と動物の「いのち」や「死」は明確に違いがあるのであり、「人間ではなく動物の死に心を乱されるとは、神父のくせに精神的修養が足りない」とお叱りを受けるかも知れません。しかし、きついものはきついです。
今日はこの辺にしておきます。