一昨日は鹿児島ハリストス正教会で復活祭の聖体礼儀を執り行いました。
4週連続の九州復活祭ツアーの千秋楽(?)です。
当初は雨の予報でしたが、実際は曇りでしたので開式の十字行(聖堂の周囲を行進すること)もできました。
本来の復活祭当日から3週間も過ぎているので参祷者は8人(うち信徒6人)しかいませんでしたが、米国人信徒のアーロン兄とルーマニア人信徒のエレナ姉も来たので、復活祭での福音書は世界各国の言語で朗読するという正教会の伝統に則り、日英ルーマニアの三か国語で福音書朗読ができました。
このキリスト教信仰の根幹である主の復活を記念して、世界各国の言語で聖書を朗読するという伝統は、聖霊降臨の時に使徒たちが「ほかの国々の言葉で話しだした」(使徒2:4)出来事、つまりキリストの福音が世界の全ての人々に等しく宣べ伝えられていることの象りです。
キリスト教信仰は特定の民族や国家のためではなく、万民のものだという聖書の教え、また正教会の考えをとても良く反映していると私は思っています。
もっとも、キリスト教を民族主義やナショナリズムに結び付ける人々も歴史上、さらには現代でも存在しているのが残念なのですが。
何はともあれ、鹿児島のような信徒の少ない地方教会でも、国籍や民族を超えて同じ信仰の人々が集まり、祈りをともにできているのは喜ばしいことです。
さて復活祭の祈祷と、その後の昼食会を終え、近くの高齢者施設に入所しているペトルさんとフェウロニヤさん夫婦(ともに仮名)を訪問しました。
二人は鹿児島出身で現在米国在住のクセニヤさん(仮名)のご両親で、私が洗礼を授けました。その時の記事は過去に投稿しています。
鹿児島教会の境内には四季折々の花が咲くように、いろいろな種類の庭木が植えてありますが、今はバラとアジサイが見ごろになっています。
そこでそれらの花々を切って、プレゼントとして持参。フェウロニヤさんと写真を撮って、米国のクセニヤさんに送りました。
こうして一連の復活祭の巡回を終えて人吉に戻った後は、日々引越しの荷造りをしています。
今の人吉の司祭館は借家で、田舎の家だけあってかなり広かったので調子に乗っていろいろな物、特に書籍を買ってしまいました。
しかし、福岡の司祭館は礼拝所を兼ねていて、プライベートな部屋は二部屋しかないので私物の置き場所がありません。そこで猛烈な勢いで断捨離しています。
人吉司祭館のネット接続も数時間後に切れますので、しばらく投稿できません。
というか、PCの前に座っている時間なんかありませんね。
荷造りを頑張らねば!