九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。熊本県人吉市から情報発信しています。

ダニイル府主教永眠 いろいろな思い出

昨日の8月10日(木)22時32分、日本正教会首座主教である東京の大主教・全日本の府主教ダニイル座下が、間質性肺炎のため入院先の杏雲堂病院で永眠されました。満84歳でした。

全日本の府主教ダニイル座下(1938-2023)

たまたま今日は私の満60歳、つまり還暦の誕生日だったのですが、朝起きた時、京都の管轄司祭で宗務局長のパウェル神父から「昨夜、府主教座下が永眠されたので、急遽東京に行くことになった」というショートメールが入っていて初めて知りました。とんでもないバースデーメッセージになってしまいました。

 

ネットを開くと、既に今日の未明の時点でモスクワ総主教庁の公式サイトと、海外のキリスト教関連のメディアにダニイル府主教の訃報が掲載されていました。

 

ダニイル府主教(俗名・主代郁夫)は1938年9月、愛知県豊橋市のお生まれ。

ニコライ神学校(現・東京正教神学院)とニューヨークの聖ウラジーミル神学院を経て1972年に司祭叙聖。以後27年間、郷里の豊橋教会を管轄しました。

この間、奥様に先立たれ、娘さんを男手一つで育てるという苦労をされています。

私自身は98年、当時小学生の息子を連れて東海地方を旅行した時に豊橋教会に参祷しました。それが府主教(当時は主代神父)にお会いした最初です。

翌99年5月、フェオドシイ府主教(当時)の急逝にともない、主教候補に推挙され、同年11月にロシアで主教叙聖。翌2000年5月、来日したモスクワ総主教アレクシイ二世聖下の臨席のもと「全日本の府主教」に着座しました。

この直前、私は会社の転勤で東京から北海道に引っ越したばかりでしたが、飛行機で東京に戻ってニコライ堂で行われたダニイル府主教の着座式に参加しました。

つい2年前に豊橋で会ったばかりの、パッとしない田舎の神父さんが(失礼とは承知していますが正直な印象)日本正教会の首座になり、府主教の証しである白いクローブク(修道帽)と水色のマンティヤ(マント)を授けられたのを見て、童話のシンデレラを思い出してしまいました。

 

さて私は2005年の春に会社を辞め、所属の横浜教会のイオシフ神父(故人)を通してダニイル府主教に東京正教神学院への入学を願い出ました。当時41歳でした。

40代でしかも4人も子どもがいる家族持ちの神学生というのは前例がなく、イオシフ神父からも「あなたの希望を府主教に伝えるけれど、断られるものと思ってください」と言われました。

しかし、当時神学生は二人しかおらず、教役者の養成が急務だったためか、ダニイル府主教から「正式に入学して授業を受けるのは9月からだが、その前に『予科』として神学校で生活し、下働きをしてもらう。それで様子を見て使い物にならないようなら辞めてもらうので、それで良ければどうぞ」との回答を得ました。

私の教職生活の第一歩です。

神学校に入ってすぐ、府主教から「あんたみたいに20年もサラリーマン続けて年食った人には全く期待していないが、まあせいぜい頑張りなさい」と言われました。

「キミには大いに期待しているよ」なんて見え見えの社交辞令を言われるより、府主教が思っていることを正直に言ってくれたので、かえってやる気が出ました。

こちらも以前「パッとしない田舎の神父が府主教?」と思ったのでお互い様です。

その後、府主教には神学校在学中の2007年10月に輔祭、卒業後の2009年3月に司祭に叙聖してもらいました。また、東京教区在職中に神学院監事、教務部長、聖歌指導者など、いろいろな職務を経験させてもらいました。

 

2019年の全国公会では、司祭叙聖10周年で金十字架とカミラフカ(帽子)を府主教が授与してくださいました。

これは業績への評価ではなく、年功に対する記念ですが、ダニイル府主教のもとで奉職してきた日々を振り返るとやはり感無量でした。

この時、あわせて九州への異動を命じられ、「新しい場所でもっとスケールの大きいことをやってもらいたい」と言われました。十数年前に全く期待していないと言われましたが、少しは期待してもらえるようになったのかも知れません。

金十字架を拝領。ダニイル府主教とともに

府主教はこの数年、高齢で衰弱が進み、頻繁に入退院を繰り返していました。今春に誤嚥性肺炎で入院された時は正直なところ、いよいよ覚悟を決めなければならないかと思っていました。

しかし、6月に退院して主教館に戻られたと聞いて、本当に驚きました。

全国公会の前日の7月7日、福岡の新教会設立の認可をもらうために主教館の応接間で府主教にお会いしましたが、やせ衰えていたとはいえ自力で歩いていましたし、受け答えもしっかりしていて、「要介護度4」とはとても思えませんでした。

もちろん全国公会でも二日間にわたる長時間の会議に出席していました。

下の集合写真は、たぶん府主教の生涯最後の写真になると思われますが、他人から支えられずにちゃんと椅子に座っています。

祈祷に立つことはもちろん、執務もほぼできない状態でしたが、最後の一瞬まで日本の首座主教でありたいという強烈な執念すら感じられました。

2023年7月9日、全国公会の集合写真。最前列の左から5人目が府主教

そのため、今日の訃報に接して不意打ちを受けたような気持ちになっています。

 

先ほど教団から来た通知によれば、葬儀は教団葬として、8月17日(木)にニコライ堂で、セラフィム大主教の司祷により教団幹部のみで執り行われる予定です。

首座主教だからといって海外のゲストを呼んで盛大な葬儀をするのではなく、お盆のUターンラッシュや台風の襲来、その他諸般の事情を考慮し、世間でいう「密葬」でお送りすることに決めたのはセラフィム大主教の英断でしょう。

そのようなわけで、私は九州でダニイル座下の永遠の記憶を祈ることにします。

これから福岡に新しい管区を設立するという、日本正教会の戦後史上初のミッションを完遂して天のダニイル府主教をアッと言わせたい、それが期待に応えることだと思っています。