先週の金曜日から日曜日までの三日間、京都ハリストス正教会での会議に出席するため、京都に出張していました。
メインの会議は日曜日午後の教区会議です。ちなみに正式名称は「西日本主教教区教区会議」で、同じ言葉が並ぶので何ともややこしいです。
教区の会議は頻繁にありますが、単に「教区会議」と呼ぶ場合は「教区の年次総会」の意味ですので、他の会議の場合は教区司祭会議とか教区宣教懇談会とか、総会と区別するために呼び名をいちいち変えています。これもややこしいです。
しかし教区会議に上程する議案は前日(土曜日)の「教区理事会」の承認を得る必要があり、さらに教区理事会の議案はさらに前日(金曜日)の「司祭会議」で取りまとめることになっているので、結果として会議日程としては三日間となります。
司祭の立場である自分としては、全ての会議に出席して同じ議題を三日連続で審議することになるので「この話、昨日もやって結論も分かっているからもういいじゃん」という気持ちになることもしばしばですが、「いや、オレは聞いてない」という代議員が現れてはならないので、会議を繰り返すことになるわけです。何とも日本社会的ではあります。
司祭会議は金曜日の13時からなので、それに間に合うために鹿児島空港を朝9時前の飛行機で出発。正午過ぎに京都ハリストス正教会に着きました。
前年度の業務報告と新年度の業務計画、前年度の決算と新年度の予算など、教区会議で出す議案は一般企業の株主総会とあまり変わりません。
それらをとりまとめて資料にし、翌日(土曜日)の午前中に再集合して、会議資料の冊子を作成します。
教団本部(ニコライ堂)には専従の事務職員がいますが、西日本教区にはいないので、こういった事務作業も司祭の仕事です。
正午からは、会計監査人に任命されている信徒による教区の会計監査。私は教区の決算業務担当者なので同席する必要があります。
さらに13時半から16時まで理事会に出席。翌日の教区会議に出す議案の内容を担当の各司祭が説明し、信徒理事たちの承認を取りつけます。
既に書きましたが、「明日の教区会議でもまた同じ話をするのか」と思うと、ちょっと憂鬱になる時もあります…
17時から18時半までは聖堂での晩祷に参祷。重要文化財の聖堂での祈りで、気持ちも少しリフレッシュできた感がありました。
そして日曜日は朝9時30分から聖体礼儀。
晩祷は司祭一人で司祷するのに対し、聖体礼儀は教区の司祭全員が陪祷することになっているので、私も「祈祷する側」です。
私が九州に異動してからすぐコロナ禍が始まり、教区会議も感染防止のためリモート併用の平日開催が続きましたが、今年は通常スタイルの日曜開催となり、ようやく代議員や京都の信徒の皆さんとともに教会でのお祈りに与ることができました。まさに神に感謝です。
正午前に聖体礼儀が終わり、昼食の弁当を食べて13時から教区会議を開始。
事前の打ち合わせで、例年どおり私が司会者を務めました。
前任地の東京教区でも、教区会議の司会者は私が指名されていましたし、さらには以前勤めていた会社でも、支社の会議の司会者はいつも私でしたので、つくづく司会業(?)が合っているようです。
教区会議自体は15時半に終わりましたが、前日の理事会でもこの日の教区会議でも、話し合いに時間をかけた議案は、「福岡の新教会設立構想と、人吉から福岡への常駐司祭の移転案」です。
本会議資料とは別に、私の方で九州の各教会の財務状況、信徒の人数と構成、日曜日の参祷者数などのデータをもとに資料を作り、プレゼンしました。
今後5年間の建設スケジュールと資金計画も提示し、それに対して質問や意見もたくさん受けましたが、データ的な裏付けを示して具体的な説明に努めたので、結果的に信徒理事や代議員たちから支持を取り付けることができました。
しかし、これは教団の人事配置政策に関わってくることですし、資金提供についても教団にお願いする必要があります。要するにこの案件は、教団がOKしなければ絵に描いた餅ということです。
そのようなわけで今後は教区の他の幹部とともに、東京に行って教団執行部に丁寧な説明をしていくことを考えています。
何だか地方議員の陳情活動みたいですが、政治家と宗教家との違いはあれど、神父も自分が管轄を命じられた地域の宣教と、そこに住む信徒の皆さんへの牧会に責任があるのですから、そのために行動するのは当然です。
それで、出張から戻ってからも教団執行部への説明資料を作っていたので、ブログを投稿するまですっかり日にちが経ってしまいました。
私はあと1か月半で満60歳の誕生日を迎えます。前の会社を辞めなければ定年でリタイアだったのですが、神父になったことで今もこのような新しい取り組みにチャレンジすることができています。
これからも神の庇護を信じて前進したいと思っています。