この週末は熊本に巡回していました。
今日は熊本ハリストス正教会で聖体礼儀。
9月12日はモスクワ大公聖ダニイルの記念日で、日本正教会のダニイル府主教の聖名日に当たりますので、慶事の祈祷である「幾とせも」を献じました。
聖体礼儀後に年に一度の信徒総会を開催しました。
熊本教会は信徒世帯が3世帯で、総会といっても出席者は普段教会に来ている人と同じなのですが、宗教法人格を持つ教会ですので会計処理でいい加減な運営はできません。
毎年の決算書類は総会で承認を取り、宗教法人所在地の都道府県庁に提出するのが法令上の義務です。この教会の決算書類は私が作っているのですが、今日総会を終わりましたので、週明けに熊本県庁に書類を提出して「一年のおつとめ」は完了です。
さて、熊本には昨日の夕方に着いたので、夕食までホテルのある水道町から藤崎八幡宮まで散策しました。
白川公園は広大な芝生が広がっています。植えてある木の中には結構な樹齢の大木もあります。
市のほぼ中心部なのにずいぶん贅沢な空間だなと思って調べてみたら、終戦まで熊本県庁があった場所とのこと。
空襲で県庁が焼けて更地になり、戦後は公園になりました。県庁所在地なら確かに市の中心地ですね。
この神社は935年創建で熊本の総鎮守。実に立派な社殿です。
今はこの神社の例大祭「放生会」の時期。熊本市内で一番大きな祭で、本来なら武者行列などが行われるそうなのですが、コロナのため二年連続で中止になりました。
残念ながら、私は九州に来てからまだ見られないままです。
吉田司家とは、わが国の相撲の家元です。
吉田氏は800年続く名家で、宮中行事の「節会相撲」を代々取り仕切る「相撲司」の家でした。かつては横綱の免許を授ける権限を持ち、隆の里まで代々の横綱伝達式に立ち会っていました。
私も相撲が好きなので、吉田司家の名は知っていたのですが、「何で熊本に?」と驚きました。
ホテルに帰ってネットで調べてみると、吉田氏は江戸時代に細川家に仕えることとなり、京都から熊本に移ったとのこと。
しかし、なぜ吉田司家「跡」なのか、さらに調べてみると、1980年代に当時の事務職員が野球賭博にのめり込み、法人としての吉田司家の金銭を横領。さらに空手形を発行したり、土地を抵当に入れたりしたため、吉田司家は破産してしまいました。
それまで1000㎡もあった吉田司家の敷地には相撲博物館などの施設があり、わが国の相撲関係の歴史資料が保管されていたのですが、土地は競売に掛けられてマンションになり、歴史資料も散逸してしまったそうです。
家系としての吉田家は現在も存続していますが、この不祥事のために日本相撲協会が絶縁したため、歴史上の「相撲の家元」であるにもかかわらず今は相撲界と関わっていません。
相撲は日本の国技なのに、何とも残念だなと思いました。
今回は小一時間ほどの街歩きでしたが、いろいろ発見がありました。こういう時間を持つことが、出張の楽しみになっています。