今日は女性自衛官のYさんが来訪しました。
私の前任地時代、大学生だったYさんは正教会に興味を持たれて私の管轄教会に見学に来られたことがありました。その後、彼女は自衛隊に入って現在は九州の駐屯地におり、私も人吉に異動したことで、休暇を利用して人吉教会に見学に来たものです。
これからどこに行くのか尋ねたら、自衛官らしく錦町の「ひみつ基地ミュージアム」を見に行きたいとのこと。
そこは公共の交通機関など皆無に近い場所ですし、私たち夫婦も一度見に行ってみたいと思っていながら、水害による休業などがあって行くチャンスがありませんでした。それで私の車に乗せて、私たち夫婦と三人で行くことにしました。
ひみつ基地ミュージアムとは、昭和19年2月から終戦までのわずかな期間存在した「人吉海軍航空基地」跡に、2018年にオープンした錦町立の資料館です。
ミュージアムとはいっても展示物自体は少なく、周囲に点在している戦争遺構を実際に見て回ることが主体です。
一時間に一回、職員の案内で人工の洞窟の中にある航空魚雷の整備工場跡の見学ができます。他の地下の秘密基地の見学は要予約なので、そちらは見ていません。
勤労奉仕の人々が手作業で掘ったそうで、壁一面にツルハシの跡がおびただしく残っています。
魚雷の整備場はコンクリートが敷設されていますが、鉄が不足していたため、鉄筋ではなく木の柱が使われています。
洞窟の中はコウモリの格好のねぐらで、冬眠しているコウモリを発見しました。
ここの地下基地群は機密事項に属したため、この整備工場も戦後はただの防空壕と思われて地元住民のゴミ捨て場になっていました。GHQの情報データが公開されて、軍の秘密工場だと分かったのは何と2015年のことだそうです。
ミュージアムを出て、もらった地図を頼りに戦時中の遺構を見て回りました。
部隊の門柱が道端に。
不足していた航空機燃料を補うため、松の根から油を採っていた作業場が、森の中にそのまま残されていました。
この代用燃料の「松根油」の存在は知っていましたが、松の根はあくまでも材料で、生産は精製工場で科学的に行っているものだと思っていました。それがこんな原始人のかまどみたいなもので手作業だったとは…せっかく油を抽出しても、おそらくすぐエンストして使い物にならなかったでしょう。
口に出して言わないだけで、誰の目にもこんなことでアメリカに勝てるはずがないと思われたでしょうに、こういう愚行に大真面目に駆り出された人々のことを思うと、悲しくなりました。
この後、三人で昼食を取り、Yさんを高速バスの停留所に送って別れました。
人吉球磨は山奥の人口が少ない地域であり、軍事施設はこの基地だけです。従って米軍の空襲もここにしか来ませんでした。軍人9人、民間人(老人と子ども)4人の計13人が空襲の犠牲者です。
東京や広島・長崎とは規模が違うにしても、先の大戦の犠牲者には変わりありません。
このような戦争遺構を今後もきちんと管理して、人吉での戦争の記憶をしっかり留めてもらいたいものだと思いました。