九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。熊本県人吉市から情報発信しています。

山鹿のレトロな魅力 ①八千代座

くまもと復興国際音楽祭の演奏会を聴きに山鹿に行きましたが、この山鹿は明治時代にタイムスリップしたような、レトロな魅力満載の街ですので、複数に分けてご紹介します。

 

山鹿は今でこそ鉄道の通っていない、熊本県北の田舎町ですが、古くは菊池川の水運を生かした物流の拠点でした。

特に16世紀、豊臣秀吉によって加藤清正が熊本城主に任じられてからは、熊本から小倉を結ぶ豊前街道が整備されました。豊前街道は熊本、人吉、鹿児島の各藩主が参勤交代で通る幹線道路であり、山鹿はそのメジャーな宿場町としてさらに発展しました。

1908年には山鹿に電話が開通しましたが、これは熊本市に次いで二か所目です。いかに当時の経済先進地だったかが伺えます。

 

山鹿を代表する建物は、やはり重要文化財の芝居小屋「八千代座」です。興行がない日は内部を見学できます。

 

八千代座は1910年、地元の豪商たちが出資して建てられました。

下手(舞台に向かって左側)には花道があり、席は畳敷きです。

f:id:frgregory:20211006194936j:plain

f:id:frgregory:20211006194956j:plain

f:id:frgregory:20211006195009j:plain

f:id:frgregory:20211006195025j:plain

八千代座

天井は出資した商店の広告で、びっしりと埋め尽くされています。

f:id:frgregory:20211006195303j:plain

出資者の広告の天井画

舞台裏には昔風の楽屋があります。

f:id:frgregory:20211006195351j:plain

畳敷きの楽屋

舞台下に下りると、人力で動かす回り舞台やセリなどの装置が見られます。機材は当時のドイツ製です。

f:id:frgregory:20211006195630j:plain

回り舞台の装置

面白いのは、客席の一番後方に上演内容を監視する警官の詰所が、そのまま残っていることです。時代を感じます。

f:id:frgregory:20211006200438j:plain

警官の詰所

また向かいの旧茶屋には、八千代座で使われていた芝居の小道具が展示されており、これもまた見ていて楽しいです。

f:id:frgregory:20211006203512j:plain

芝居の小道具類

 

このように八千代座は、明治文化の香りをそのまま伝える素晴らしい場所なのですが、順風満帆で今日まで来たわけではありません。

開業から戦前にかけては、大変にぎわっていたのですが、戦後はテレビの普及などで舞台観賞が急速に廃れてしまいました。

そして1973年を最後に八千代座での興行は終了し、それ以後は使われないまま荒れ放題になっていたのです。

しかし、山鹿出身の元宝塚スター・上月晃をはじめとする芸能関係者や、永六輔ら文化人が八千代座の保全を訴え、1988年に国の重要文化財の指定を受けました。

特に歌舞伎役者の坂東玉三郎が八千代座を守ることに熱心で、文化財指定の翌年の89年から毎年公演を行うようになりました。

そのような経緯があって、山鹿市は全面的な修復に着手。2001年に完成して往時の輝きを取り戻しました。

 

これは私たち日本正教会の聖堂にも共通して言えることですが、古い時代にお金と技術を費やして造られた建物は、それだけで何ものにも代えられない価値があるはずなのです。安直に放棄したり解体したりしたら、その価値を取り戻すためにはより大きな代償を払うことになります。

その意味で、一時は廃墟と化していた八千代座が復活し、現役の劇場として大切に使われるようになったのは素晴らしいことです。

今はコロナ禍で、舞台の興行が厳しい状況ですが、今後も八千代座が守られるように願っています。