昨日、5月31日は復活祭から50日目の祭日「聖五旬祭」(Pentecost)でした。
今年の正教会の復活祭は西方教会(カトリックとプロテスタント)より1週間遅れでしたので、聖五旬祭も1週間遅れということになります。
また、キリスト教の復活祭は必ず日曜日と決まっていますので、聖五旬祭の曜日も必ず日曜日となります。
聖五旬祭では聖霊降臨(使徒2:1-11)という出来事を記念します。
正教会の祈祷では聖五旬祭の午前中の聖体礼儀とは別に、聖霊降臨を記念する主日晩課という祈祷を午後に行います。
もっとも聖体礼儀が終わった後で、信徒に改めて教会に来てもらうのは現実的ではないので、日本正教会では聖体礼儀に続けて主日晩課を行っているのが通常です。私も自分の管轄教会ではそのようにしています。


この祈祷は30分くらいかかりますが、司祭がひざまずいた状態で長い祈祷文を朗読するという特徴があります。
高齢の神父や太めの神父、腰や膝の悪い神父にはかなり厳しい典礼だなあと、いつも思っています。おかげ様で私自身は今のところ支障なくできていますが。
さて聖書に記された聖霊降臨とその後の出来事で、正教会として特筆すべき事柄が二つあります。
一つ目は使徒たちに聖霊が降った時、「一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」(使徒2:4)という記述です。
これはイエスの死と復活によって、私たち人間も死から解放されて永遠の生命を得られるという良い知らせ、すなわち「福音」は世界の全ての人々に向けられているということの証しです。
もし教会が福音を、例えばラテン語とかヘブライ語とか、何か特定の言語だけでしか語ることを許さないとしたら、救いも特定の民族しか対象としていないことになってしまいます。それは聖書に記された「神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)という御旨に矛盾します。
よって「ほかの国々の言葉」との聖書の記述を守るには、聖書も祈りも、その民族の言語に翻訳し、彼らが理解できるように宣教するのが正しいといえます。
正教会はまさに初代教会時代から今日に至るまで、「翻訳による宣教」を伝統として受け継いできました。
日本正教会はロシア人であるニコライ大主教が創立しましたが、聖書も典礼もロシア語ではなく、すべてギリシャ語の原典から翻訳された日本語です。
そのロシア正教会で用いられている教会スラブ語典礼は、9世紀にギリシャ人のキュリロスとメトディオス兄弟がギリシャ語から翻訳したものです。
またローマ・カトリック教会はかつて、聖書も典礼もラテン語のみしか認めていませんでしたが、それはカトリック教会がオリジナルで制作したものではなく、やはりギリシャ語の原典から翻訳したものです。(そもそも「オリジナルの聖書を制作」してしまったら新興宗教になってしまいます)
さて、話を聖書の記事に戻すと、聖霊降臨が起きて集まって来た群衆を前に、ペトロが話を始めます。
かなり長い記述なのですが、要約すると以下のようになります。
皆が十字架につけて殺してしまったイエスは、真のキリスト(救世主)だった。そのイエスは死から復活した。弟子である自分たちはその証人である(実際に復活したイエスに会っているという意味)。かつてイエスは聖霊を送ると約束しており、今皆が見ている不思議な現象はそれが実現したものである。
そしてペトロが信じる者は洗礼を受けるよう呼びかけると、その日だけで3千人が洗礼を受けた、と聖書は記しています(使徒2:41)。
この記述に基づいて、キリスト教では聖霊降臨を「教会を誕生させた出来事」と理解しています。
つまり聖霊降臨以前は、イエスがキリストであり、復活は事実であるという信仰は弟子たちの間だけ、つまりプライベートなレベルに留まっていましたが、聖霊降臨を経て、福音を聞いて信じる多くの人々が集まって共有するものに進化した、ということです。その人々が集まって信仰を共有する場が「教会」です。
さて、特筆すべき二つ目として、聖書には新たに生まれた教会で何が行われていたのかが記されています。
「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」(使徒2:42)
これは正教会で行われている「聖体礼儀」そのものです。
つまり信者が教会に集まって、聖書に記された教えを聞き、祈りをし、パン(と葡萄酒)を捧げ、それをいただく…これが初めて誕生した教会で行われていたことであり、正教会は伝統として今もそれを守り続けているのです。
ちなみに日本語で「相互の交わり」と訳されている上記の単語は、聖書のギリシャ語原典では「キノニア」と書かれています。
これは今日のキリスト教用語では「領聖」(communion)、つまりパンと葡萄酒から変化したキリストの体と血をいただくという意味です。つまりキリストを仲介者として、信者たちが同じキリストの体を食べることで一つになれる、と理解しているのです。
このように、聖霊降臨は教会の誕生につながる重要な出来事であり、正教会では聖霊降臨以来、聖書に示されたことを伝統として今も守り続けています。



























