先週の木曜日、8月8日に宮崎の日向灘を震源とする大きな地震がありました。
福岡では揺れを全く感じなかったので、大したことはないだろうと思ってテレビをつけたら、宮崎市日南市で震度6弱、信徒が住んでいる宮崎市や鹿児島市でも震度5強から弱を観測したとのこと。
教団や教区の事務局からもすぐにメールが来て、教会の被害状況を確認するようにとの指示がありました。
そこでその日の夜から翌朝にかけて、鹿児島と宮崎の信徒に個別で連絡を取ったところ、人的な被害はもちろんのこと、家具などにも全く被害がなかったことが確認できました。
鹿児島の聖堂も、執事長が様子を見に行き、全く何も変わりがないことを確認しました。聖堂にはイコンや聖器物などが台の上に置いた状態なので、建物に問題がなくてもそれらの内部の貴重品が落下して壊れるおそれがあるのですが、まずは無事で安心しました。
この地震はいわゆる「南海トラフ地震」との関連が考えられていて、近日中に再び大きな地震が発生する可能性があると報道されたので、先週末は警戒していたのですが、とりあえず今日までは何ともないようです。
それよりも私が心配しているのは今年の猛暑です。
福岡県内では特に南部の久留米市が暑く、38℃前後まで上がる日が多くあります。
しかし連続日数という意味では、わが教会からわずか10キロほど南の太宰府市でついに昨日、全国最長記録の「猛暑日連続25日」が観測されました。
パリ五輪の期間がすっぽり収まってしまうくらいの長さであり、スポーツの新記録とは違って、こちらの日本新記録は正直なところありがたくありません。
熱中症による救急搬送件数、さらには熱中症での死者も記録的なレベルになっているようですが、私はこういう「人的被害」、とりわけ数百人単位で犠牲者が発生する規模から考えたら、わが国の夏の猛暑も立派な「激甚災害」だと思っています。
いまの日本で地震や台風の死者が数百人いたら、とんでもない規模の大災害とみなされます。地震で亡くなるのも暑さで亡くなるのも、自然界の異変で失われる人の命に違いはないのではないでしょうか?
私の管轄教会は高齢者が多いので、祈祷中に熱中症を発症しないか、いつも気にかけています。
聖体礼儀で領聖(聖体、すなわちパンと葡萄酒から変化したキリストの体と血に与ること)するには、その日の午前零時から一切飲食してはいけない決まりになっており、またそもそも聖堂内は聖体以外の飲食が禁止ですが、それで脱水症状になったら本末転倒ですので、私の管轄教会は聖体礼儀中であっても教会内で水分を摂ることを許可しています。
それでも当然ながら参祷とは、信徒が自宅と教会を往復する間は外にいることであり、そこで熱中症になってしまったら、と思うと心配は尽きません。
もちろん、コロナ禍の時と同様、信者が教会に来る来ないは自分が判断すべきことであり、「皆さん、今日は暑いから教会に来るのは止めましょう」と教会側が言うことは絶対にないのですが…
そんな猛暑の中、一昨日は福岡で聖体礼儀を執り行いました。
暑さに加え、ちょうど子どもたちの夏休みとお盆休みの期間でもあり、「参祷を自粛した人」が多くて、参祷者は信徒二人と、初めて正教会を訪ねた南アフリカ出身のプロテスタントの女性との合計三人だけでした。
普段は15人から20人ほどの参祷者がいるので、それと比べれば寂しいかも知れませんが、このような「自然災害レベル」の暑さですから、これはこれで結構だと私は思っています。
ちょうど1年前にダニイル前府主教が永眠(正確には永眠日は8月10日)されたので、聖体礼儀に引き続き、ダニイル府主教の1年祭パニヒダを行いました。
なお、パニヒダを聖堂で行う時は、イコノスタシスの外側に台を置いて行いますが、福岡にはイコノスタシスもパニヒダ用の台もないので、宝座(祭壇)に向かって祈祷しています。(九州では物品がなくてやむなくイレギュラーな形で祈祷せざるを得ないのに、ネット上で「正教会としておかしい」などと書く人が後を絶たないので付記)
偶然ながら、日本正教会第二代首座主教のセルギイ府主教(1871-1945)の永眠日も8月10日なので、ニコライ堂ではセルギイ府主教とダニイル府主教の二か所の墓所に分かれてパニヒダを執り行っています。それこそ猛暑の中、屋外で大変だったろうと思います。
さて、私の方は祈祷後、歓談スペースで参祷者たちに軽食と冷たい飲み物を振る舞って休憩してもらい、車で来ている信徒に他の二人を教会最寄りの福岡空港駅まで送ってもらうように頼みました。せっかく教会に参祷してくれたのに、彼らが駅まで歩いている間に具合が悪くなるようなことがあってはならないからです。
災害レベルの猛暑はまだ続くようです。
どなたも体調の管理には十分に気を配られますように。