九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。熊本県人吉市から情報発信しています。

夏目漱石の家と部屋

本日、2月9日は文豪・夏目漱石の誕生日です。

夏目漱石(1867-1916)

今日、ラジオで熊本のローカルニュースを聴きながら車を運転していたら、嬉しい報せが飛び込んできました。

2016年の熊本地震で大きな被害を受けた熊本市内の夏目漱石の家「内坪井旧居」が、被災から7年を経てようやく修復が完成し、彼の誕生日である今日、公開が再開されたのです。

 

漱石は1896年から1900年までの4年間、旧制五高の英語教授として熊本に住んでいました。

彼は4年間の熊本生活で6回も住まいを替えましたが、そのうち3番目の家である「大江旧居」と5番目の「内坪井旧居」の2軒だけが、熊本市の管理のもとに公開されてきました。

しかし、熊本地震で2軒とも被災。大江旧居は一足先に修復されて、私も12月の彼の命日に合わせて見学してきましたが、内坪井旧居の方はまだお預けの状態でした。

 

frgregory.hatenablog.com

 

今週末は熊本教会への巡回日ですが、残念ながら他の場所を訪問する予定を入れてしまいました。近いうちにぜひ訪ねようと思っています。

 

また、つい先日の熊本日日新聞に、漱石の別の家についての記事が載っていました。漱石が熊本で最後に住んだ「第6旧居」を熊本市が取得するとのことです。

 

これまで公開されている漱石の家は2軒だったので、私はてっきり現存しているのも2軒しかないと思ってきたのですが、もう1軒残っていたとは知りませんでした。

記事によれば、物件は2011年以降空き家で、漱石の家主の曽孫で大阪在住の方が所有していたものの、高齢のため管理できなくなり手放すことにしたそうです。

しかも、漱石の書斎が当時のまま保存され、村上春樹氏も訪ねたそうです。

この家も熊本地震で被災しましたが、村上氏らが集めた支援金で修復されたとのこと。今後、熊本市は物件を整備して一般公開する予定です。

熊本の街歩きで訪ねたい場所がまた増えました。

 

漱石は出生地も死没地も東京・早稲田であり、また『坊ちゃん』の舞台となったおかげで、たった1年しか住んでいなかった松山時代のことも有名です。それに比べると、漱石が熊本にいたということはあまり注目されていない印象を持っています。

しかし漱石が結婚し、父親となったのは熊本時代であり、また大病を発症する前で、彼が充実した日々を送っていた時期ではないかと思うのです。

また、彼の作品の『草枕』は、熊本から玉名まで徒歩旅行した時のことをベースに書かれており、彼の職業作家としての後半生に熊本時代も多少なりとも影響はあっただろうとも考えます。

熊本を代表する人物といえば何でも「加藤清正」になってしまうのですが、熊本出身でないとはいえ夏目漱石小泉八雲も注目されてほしい(そもそも清正だって尾張出身であって熊本出身ではない)と思っています。

 

さて、漱石旧居と直接関係ないのですが、漱石日本正教会の接点(間接的ですが)について触れておきます。

漱石は持病の胃潰瘍が悪化し、1910年に修善寺で静養することになりました。逗留したのは老舗の「菊屋旅館」です。

逗留中、彼は大量の吐血をして生命の危機に陥りましたが、奇蹟的に一命を取り留めました。これは「修善寺の大患」と呼ばれています。

この時の死の境をさまよった経験が、後の彼の作風に影響を与えたと言われる大きな出来事です。

 

この舞台となった菊屋旅館のオーナーは、熱心な正教会の信徒でした。

菊屋を中心とする約70名の修善寺の信徒たちは、1912年に「修善寺ハリストス正教会」を建立し、現在も教会活動が行われています。聖堂は静岡県指定文化財です。

修善寺ハリストス正教会(1912年建立・筆者撮影)

 

偶然、私自身は前職時代の最後の任地が沼津市でしたので、当時は修善寺教会での月一回の聖体礼儀に通っていました。またこれも偶然ですが、会社を辞めて神学校に入り、司祭に叙せられた時に管轄を命じられた教会の一つが修善寺でした。

つまり、信者として通っていた教会に司祭になって戻ってきたことになります。

白亜の聖堂は東欧の村から移設したかのような佇まいで、さらに周囲の風光明媚な風景も相まって、ここでの祈祷はまさに天国を思わせるものがありました。

 

漱石の大患はまだ聖堂が建つ前のことですので、漱石自身が修善寺正教会の祈祷に与ることはなかったでしょうが、漱石日本正教会の間に菊屋旅館という接点があったことは知られざるエピソードではないかと思います。

なお菊屋のオーナー家は、私がいた頃には既に信徒ではありませんでした。また、漱石が滞在していた部屋も当時は現状保存されていたのですが、宿泊客でないと見学できないということで、残念ながら私は見ていません。(宿泊料金は修善寺でも一番高い部類の宿です)

さらに今は菊屋旅館の所有者がリゾート会社に移り、屋号も「湯回廊菊屋」に変わっています。漱石の部屋もありますが、現代風にリニューアルされて(要するに見学のためでなく宿泊用の部屋になって)います。ちょっと寂しいですね。

 

漱石は文学者ですから、評価の対象は作品であることはもちろんですが、家とか部屋とか、彼の人間としての部分を探訪するのが私には面白く感じています。