九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。熊本県人吉市から情報発信しています。

福岡巡回 教会も通信障害のとばっちり

今日は福岡伝道所に巡回しました。

福岡で聖体礼儀

聖体礼儀に引き続き、役員会で教会の決算にあたり、会計監査に立ち会いました。

福岡伝道所は宗教法人ではないため、決算書類の書式は法令上の縛りがなく、私も福岡の会計についてはやかましく言って来なかったのですが、決算の集計に誤りが発見されたりしましたので、これからはもっと細かく監督していこうと思います。

 

聖書には使徒たちが「日々の分配のこと」(使徒6:1)、つまり宗教と関係ない、信徒間のトラブル処理に忙殺される問題が生じ、その結果、「わたしたちが神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。それで、兄弟たち、あなた方の中から霊と知恵に満ちた評判の良い人を7人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。私たちは祈りと御言葉の奉仕に専念することにします」(使徒6:2-4)ということになったと書かれています。

この時、選ばれたステファンら7人は「執事」(ギリシャ語でディアコノス)と呼ばれ、今日の正教会では聖職者としての「輔祭」(ディアコノス)の起源となっています。

しかし、これは正教会だけの話ではなく、聖書に書かれている通り、使徒が「本来業務」である祈祷と宣教に専念できるよう、教会の信徒の中から牧会上の事務仕事を担ってくれる担当者の任命が始まったということです。従ってこれは今日でも教派を問わず、キリスト教会で当たり前の考え方になっています。

どうも九州は人々の性格も大らかなのか、東京教区と比べて過去の教会の事務が大雑把だったように感じてきました。しかし、わが国で宗教団体は社会から誤解を受けやすい存在だと思っていますので、会計やコンプライアンスについては一般企業などより厳格になされなくてはならないというのが私の持論です。

そのようなわけで、今の管轄教会では私自身が教会の事務にもっと関わらなくてはならないようです。なかなか聖書のように「祈りと御言葉の奉仕に専念」できそうにありません。

 

今日はそれに加えて、もう一つの問題がありました。

昨日から続いているKDDIの通信障害です。

私自身はauスマホユーザーですが、電話代が勿体ないので、こちらから通話することはしませんし、メールもネットもwifiが接続されている状態でないと使いません。そのため、通信障害が起きていることに全く気付かず、テレビの報道で初めて知りました。

 

今日は決算の集計をした役員が急用で遅れてきたのですが、携帯が通じなかったために連絡が取れず、どうしようか困りました。

さらに役員会が終わったら、遠方の家族が車で迎えにくる話になっていた一人が、やはり携帯が通じなくて、帰るに帰れなくなってしまいました。

妙なところで、教会も通信障害のとばっちりを食らったわけです。

 

考えてみますと、携帯電話が普及したのは私が社会人になった後のことです。それまでは外出先で連絡を取る手段は公衆電話しかなく、また誰かと会うには待ち合わせの場所と時間を事前に決めておくのが当たり前でした。また、駅などには必ず伝言板が設置されており、急な予定の変更によるすれ違いを防ぐ仕組みがありました。

当時は不便とは思わず、それを当たり前と考えていたわけですが、携帯電話が「当たり前」になった途端、そのようなリスク管理の仕組みも退化してしまったのかも知れません。

今日は個人間で連絡が取れないということで済んだからまだ良いのですが、火災や事故、急病などで緊急通報しなくてはならない事態だったら由々しいことになります。

 

たまたま今日の聖体礼儀で朗読した福音書に「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」(マタイ6:34)と書いてありましたが、auの回線は未だに繋がりません。

私自身は上記のように、wifiさえ繋がっていれば何も困らないのですが、社会にはこの未解決の通信障害のために「明日のことまで思い悩まざるを得ない」人々がたくさんいることと思います。

早く解決してほしいですね。