昨日は人吉ハリストス正教会で復活祭の祈祷を行いました。
復活祭の祈祷は、聖堂の外を一周して回る十字行でスタートします。4月24日の鹿児島での祈祷は大雨で十字行を取り止めましたが、今回は朝から晴天で十字行をすることができました。
前日に聖堂の周りの草刈りをしておいて良かったです(笑)。
信徒が染めたイースターエッグが、前日に設営した台の上に並べられました。
クリスマスでも復活祭でも、大祭の時は教会でパーティ―を開くものですが、人吉教会ではコロナ禍以降、お土産に弁当を配ることとし、パーティーは自粛してきました。しかし、今回は信徒の出欠を事前に確認したところ、親戚関係でかつ互いに近くに住んでいる家族たちばかりだということが分かったので、集会室で弁当を静かに食べるということにしました。
参祷者15人中、子どもは6人いましたので(占率40%!)、福岡と同じく人吉でもエッグハントをしました。福岡と違って人吉教会の敷地は600坪あり、草ぼうぼうなので卵を隠す場所には困りませんでした。
人吉は過疎化の著しい田舎町で、教会の所属信徒も数世帯(しかもほとんどが親戚関係)しかいませんので、普段の祈祷は閑散としており、私たち夫婦以外に誰も来ないことも珍しくありません。
「信者なのに普段は教会をサボって、お祭りの時しか行かないなんて不真面目だ」と眉をひそめる向きもあるかも知れませんが、キリスト教の祭にはちゃんと意味があるのであり、そういう「節目」に合わせて家族がともに教会にいるという「経験」が、小さいお子さんたちには大切だと私は考えています。
こちらは将来のあるお子さんたちに、「お祈りは長いし、神父さんのお話も退屈だったけど、教会に来て楽しかった」と思ってもらえれば、それで本望です。
午後は人吉から40㎞ほど離れた水上村まで廻家祈祷に行きました。
トルストイ翻訳家・北御門二郎氏(1913-2004)の長男夫婦のお宅です。カーナビに住所を入れても、離れた場所でルート表示が切れてしまう山奥です。
北御門二郎氏は湯前町の大地主の家に生まれ、東京帝国大学に進みました。彼は戦前の(たぶん現代でも)人吉球磨という田舎では、家柄も学歴もこれ以上ないくらいのセレブだったわけです。しかし、トルストイに心酔していた二郎氏は軍国主義時代の日本で「体制側のエリート」になることに反発を覚え、徴兵も拒否して家を出てしまいました。そして、水上村で文字通り自給自足の農業生活をしながら、トルストイ作品の翻訳に生涯をかけたのです。
大金持ちの貴族である自分の身分が嫌になり、最後に家を出てしまったトルストイに倣う思いがあったのかも知れません。
二郎氏夫妻の永眠後は長男夫婦が家を継いで、米と茶の栽培をメインに生活されています。現在も水道を引かず、生活用水も農業用水も川の水を使うという徹底ぶりです。
今はまさに茶摘みの最盛期で、訪問直前まで作業されていました。
祈祷の後で、奥さんが三日前に摘んだばかりの新茶を淹れてくださいました。どんな高級茶にも負けない美味しさでした。
奥さんはこういうお宅に嫁に来るくらいですから、トルストイの愛読者ですが、こんなことを言いました。
「トルストイはロシア正教会に破門されたわけですが、彼の平和主義というのはキリスト教徒として決して間違った考えではなく、むしろ正しい考えだったように思います。今、よりによってロシアがあんな戦争を始めたら、一層そう思いますね。トルストイと教会と、本当に正しいのはどっちなのか考えちゃいますよ。今トルストイが生きていたら、何て言うかしらね」
ぐうの音も出ません。私も決して、どこの国の戦争も支持しませんが、「教会側」の人間であることも事実だからです。
しかし、奥さんは「神父さんが毎月の教会報に書いている文章をいつも楽しみに読ませてもらっています。戦争が始まって、『剣を取る者は剣で滅ぶ』と戦争反対の意思表示をお書きになりましたね。本当におっしゃる通りですよ。戦争は絶対にあってはなりません」とも言いました。
とりあえず、今回の戦争に関して私が考えていることは間違っていなかったと安堵し、お土産に出荷前の新茶の茶葉をいただいて、水上村を後にしました。