九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。熊本県人吉市から情報発信しています。

講演『イスラームと正教会』 盛況に感謝

先週の金曜日、2月11日に西日本教区の冬季セミナーが開催されました。

事前収録した私の講演『イスラーム正教会』をZoomでの参加者に視聴いただき、質疑応答するシステムです。

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アヤソフィヤ(講演のパワーポイントより)


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コロナ禍以降、私にとってZoomは会議で当たり前に使っていますし、自分の勉強会でも活用していますので、とても便利なツールだと思っていますが、どうやら信徒の間では必ずしも馴染みのあるものではないようです。

つい一週間前まで、参加申し込みは3人しかいないと聞かされて、決してつまらない演題とは思えないのに何故、と思いました。それで、よほど私は西日本教区でも嫌われているのかなと思い、憂鬱な気分でいましたが、そういうことではなく、「話は聴きたいがZoomのやり方が分からない」という問い合わせが事務局に何件もあったそうです。

結果的には当日までも参加申し込みがあり、参加者は教役者や信徒の他、教会外の一般の方もいて、合計35人となりました。当初、多くても20人以内と見込まれていたので驚くと同時に安堵しました。

 

私が講演で意図したのは、イスラームを批判してキリスト教の優位性を主張することではありません。むしろ、わが国のイスラーム研究者の著書を丹念に調べて、イスラームの教えや価値観を客観的に紹介するように努め、キリスト教、とりわけ正教会との考え方の相違点を具体的に取り上げるようにしました。

なぜなら、異なる信仰、異なる価値観といった「アイデンティティの相違」を理由にした社会の分断こそが、21世紀になってからの世界共通の問題だと考えるからです。また、その最大の原因は「異なるもの」に対する無知・無理解であるとも考えます。

そこでキリスト者、とりわけその宣教者である自分の立場として、まずはキリスト教との最大の対立軸で語られがちなイスラームについて自らが勉強し、正しい情報を教会内に伝えていこう、そしてキリスト者が異教徒の兄弟姉妹に偏見を持ち、差別することは誤りだということを訴えよう、と考えました。

実際、福音書を見ますと、イエスがスポットライトを当てている対象は「サマリヤ人」「収税人」「障害者」など、当時のユダヤ人社会において当たり前のように差別されていた人々ばかりです。もちろん、これをもってイエスを地上の人権活動家と見なすのは、非キリスト教的な誤りです。キリスト教の教えではイエスはただの人間ではなく、人間を含む天地万物を創造した神だと考えるからです。

つまり、イエスは自身の言葉と行動を通して「万物を創造した神は、被造物である全ての人間を愛している」ことを示したのであり、よってイエス自身が「互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなだがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)と言ったように、キリスト者は相手が誰であれ、他者に隣人愛をもって接することが求められているのです。

よって、上記のようにキリスト者が宗教やその他の価値観の違いを理由に他者を差別することは、反聖書的・反キリスト的なふるまいであると断言できます。

 

そのようなわけで、私はこの講演を単なる「イスラム教ガイダンス」として行ったのではなく、「隣人愛」というキリスト者の本分と、その前提となる「多様な価値観への理解」について、信徒の皆さんに認識していただくために行ったつもりです。

 

興味深いことに、聴講したプロテスタントの複数の方から「正教会について知ることができた」という感想をいただきました。この講演は教区内の公開勉強会であって、必ずしも外部への正教会の紹介のためではなかったし、特に意識せずに教会内で当たり前に言っていることばかり話していたのですが、他教派の方には「考え方の違い」として新鮮に受け取られたのかも知れません。これはこれで、私には良い「気づき」となりました。

 

ともあれ、予想以上の盛況となり、好意的な感想も寄せられたので大変うれしく、またありがたく思っています。