九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。2019年から九州全域を担当しています。

郷に入っては郷に従え 地方ならではの葬送の習わし

今日は月曜日に永眠された信徒の埋葬式(一般でいう告別式)を執り行いました。

 

私自身は東京出身で、さらに母方も妻の実家の方も、親戚はほぼ全て首都圏在住です。

また前の会社では異動は多かったものの、ほぼ首都圏勤務で、地方勤務は苫小牧に1年と沼津に2年半いただけです。つまり、西日本とは全く縁がありません。

さらに司祭になった後の10年間、勤務したのはニコライ堂の他、横浜や静岡など東京大主教区内の教会だけでした。

つまり、冠婚葬祭に関してはキリスト教式であれ、仏式や神式であれ、50代半ばまで関東のスタイルしか知りませんでした。(北海道では結婚披露宴が会費制という特殊性はありましたが)

 

冠婚葬祭の中でも葬送儀礼は特にその地方の習わしが色濃く表れるものです。九州管轄になって人吉では二件目のご葬儀でしたが、関東どころか福岡や熊本などの九州の都会とも違う、独自な習わしがあって驚かされることが多々ありました。

 

まず、当地の霊柩車は金ピカで派手な宮型霊柩車が珍しくありません。今は首都圏の火葬場では概ねどこでも宮型霊柩車の乗り入れを禁止しているため、黒一色のものしか見かけませんから、こちらに来て大変驚きました。

私たちはキリスト教式ですので当然宮型はNGですが、その代わりよく目立つ白塗りのベンツの霊柩車でした。

f:id:frgregory:20220203202103j:plain

白塗りの霊柩車

そして「故人と共にいること」をとにかく重視します。

人吉では聖堂ではなく葬儀場で葬儀を行っているのですが、せっかく式場を聖堂に見立てて設営しているのに、通夜の祈祷が終わるとわざわざ棺を座敷の大広間に移動させるのです。

参列者は故人の棺を前に、延々と宴会をします。さすがに今回はコロナ禍のため、限られた親族のみで弁当を食べ、アルコールの提供もなしという措置が取られていましたが。

そして家族はその大広間に蒲団を敷いて泊まり、翌朝も棺の前で朝食を取ります。まるで家族旅行でもしているかのようです。

そして棺を式場に再度移動して葬儀が行われ、いざ出棺の時はアルミ皿に盛った料理やプラカップに入れた酒など、大量の飲食物を棺に入れるのです。首都圏の火葬場では荼毘に支障が出ないよう、棺に物を入れることを嫌いますので(前任地では遺体に靴を履かせることまで断られました)、これも大変驚きました。

正教会は当然、葬儀は聖堂で行うべきものと考えていますが、こちらでは絶対できないなと思いました。聖堂内で飲食したり、寝泊りすることは許されないので、彼らの伝統的な習慣と相容れないものになってしまうからです。

 

さらに収骨の時、火葬場の職員に「ご収骨はどのようにしたらよろしいですか」と聞かれたので、キリスト教ではどういうルールなのかという意味かと思い「一般的な習慣に従っていただいて結構です。一つのお骨を二人箸で拾っていただければ」と答えたら、職員からも遺族からも「えっ、何それ」という顔をされました。

「こちらでは皆さん、どうしているんですか」と尋ねたら、まず足の親指の骨だけを参列者が渡し箸をして骨壺に入れ、後は各自で好きなだけ拾っていくのだそうです。それが皆さんの慣れ親しんだ流儀なのですから、もちろんそうしていただきました。

正教会では葬儀は土葬を前提としており、よって火葬や収骨のルール・マナーという概念が存在しません。それに対し、日本では火葬が普通ですから、現地の習慣にお任せしています。それにしても「一般的な習慣」とは、日本全国どこでも通じることではないと、今回改めて思わされました。

 

収骨のローカルルールはともかく、故人と一緒にいることを重視するというのは、人吉のような農村的社会の感覚として「生者と死者の距離感が近い」のだろうと思っています。

というのは、人吉ではお墓が霊園、つまり日常生活の場から離れた場所にあるのではなく、田んぼや住宅地の中など、人が生活している場の中に当たり前にあるのです。大きな旧家などは、家の庭先に墓があったりします。

しかも40年くらい前まで土葬の習慣が残っていたそうです。「爺ちゃんはうちの裏に埋まっている」という感覚です。

つまり自分の生活圏に、生きている家族だけでなく、既にこの世を去った先祖もいつも一緒にいる環境です。

宗教的な知識や敬虔さ以上に、そういう地域の環境的な要因で培われる感覚を決して無視することはできません。「そんなのはキリスト教ではおかしい」と頭から否定したら、かえって教会の側が拒絶されるかも知れません。

 

もちろん故人の位牌を作って拝むような、明らかにキリスト教の教えに反することは絶対に認められませんが、そうでないローカルな文化風習については「郷に入っては郷に従え」、つまりそれらをきちんと理解して、敬意を持って接したいと思っています。