九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。2019年から九州全域を担当しています。

神現祭の日に新たな挑戦

今日はユリウス暦で1月6日であり、正教会の大祭の一つである神現祭(Epiphany)の日となります。

神現祭とはイエスヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受け、三位一体の神の子であることを示した出来事(マタイ3章)を記念する祭です。

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イコン「主の洗礼」

西方教会カトリックプロテスタントのこと)では、神現祭は「主の公現」または「顕現祭」といった訳語が充てられていますが、記念するのは降誕したイエスに東方の三博士が会いに来て宝物を献じた出来事(マタイ2章)ですので、正教会とは趣旨が異なっています。ちなみに正教会では、東方の三博士の訪問は降誕祭で記念される出来事です。

 

さて私たちキリスト者は、一言でいえば「イエスは神であり、救世主(キリスト)である」と信じており、その証しとして洗礼を受けています。では、その信じる対象のはずのキリスト自身がなぜ洗礼を受ける必要があったのか。それについては、既に教会のウェブサイトに書いており、同じことを書くのも大変なので、リンクを貼っておきます。

 

その記事にも書いていますが、キリスト教の洗礼とは新約聖書のロマ書(ローマ人への手紙)第6章によれば、「古い自分が死に、新しい自分が再生する」ことを意味しています。

その意味では神現祭の今日、40年ぶりにあることに再挑戦することにしました。バイオリンの練習です。

 

私は小さい頃からクラシック音楽が好きで楽器、特にバイオリンを習いたかったのですが、家では「バイオリンなんか学校の勉強に役立たないのに、金ばかりかかるから駄目だ」と言われてきました。

しかし、高校に入学した時、たくさんある部活動の中でバロック音楽の室内合奏団があるのを見つけ、早速入部してゼロからバイオリンを始めました。勉強して第一志望の高校に受かったのだから、親も文句は言えません(笑)。

同じ曲でも漫然と聞いているのと、実際にアンサンブルで演奏してみるのとでは大違いで、もともと好きだったバロック音楽、特にバッハの作品が一層好きになりました。

ただ、私以外のバイオリンパートの部員は皆、幼稚園からやってきた人たちばかりでした。過去の経験の差は埋めようがないので、大学でオーケストラに入るのは技術的に無理だと思い、高校卒業と同時に楽器は止めて合唱に転向しました。

 

つい先月、妻の勤め先の保育園の関係者のMさんが、バイオリンを習っていると知りました。ご本人に聞いてみると、熊本市在住で週に2回、人吉に出張で来ている講師の方がいて、その先生にレッスンしてもらっているとのことでした。

人吉には大きな合唱団はなく、それに加えてコロナ禍のため、九州に来てから全くリアルな合唱をしていなかったので、違う音楽をやりたいと思っており、大いに心が動きました。

それでMさんに講師の先生を紹介してくれとお願いし、今日のMさんのレッスンに合わせて先生に会いに行きました。そして即、入門を申し込みました。

私はもちろん、妻もMさんとはあまり面識がないので、今になって思うと図々しかったかも知れません(笑)。

とりあえず私のレッスンは来月から開始です。

 

1982年に高校を卒業してからちょうど40年間、全く楽器を触っていませんので、ゼロからやり直すことにしました。

どのくらいの技術レベルを目標にしているのかと聞かれたので、具体的にヴィヴァルディの「調和の霊感」の協奏曲イ短調くらいと答えたら(高校時代は全く無理だったレベル)、4年かければ十分行けると思うので、それまで頑張りましょうとの話でした。

新たに挑戦するのに(正確には再開)遅すぎることはないと普段から思っていますが、これでまた少なくとも4年間、人吉で取り組めるものができました。

私も来年で還暦ですが、神からいただいたこの人生を、何歳になっても豊かなものにしていきたいと思っています。