今日は私たち夫婦の結婚記念日です。
もっとも、妻は昨日が二回目のコロナワクチン接種だったので、副反応を考慮してお祝いはささやかながら先週末にしました。肝心の副反応は現時点で全くないのですが(笑)。
さて9月9日はロシアの文豪・トルストイの誕生日でもあります。
彼は大地主の伯爵家に生まれ、1847年に所有地のヤースナヤ・ポリャーナを相続。以後、お金の心配を全く知らずに生きた人です。
彼が創作に専念できたのも、経済的な裏付けがあったからだと考えます。
彼は金銭的な財産に加えて作家としても成功し、名声を収めたわけですが、そういったお金や名誉以上に精神主義的な理想を求めるようになります。
そして晩年は創作よりも、「トルストイ運動」と呼ばれる社会活動に没頭しました。その思想は「山上の垂訓」(マタイ5章)に範を求めるもので、「非暴力」「赦し」「隣人愛」などが基本でした。
彼は当時のロシア正教会に従うのを良しとせず、個人として運動を展開したわけですが、ある意味皮肉なことに彼の思想はキリスト教的な精神を遵守しているように私には思えます。
19世紀末のロシアは、皇帝アレクサンドル二世が農奴解放を宣言したにもかかわらず1881年に暗殺されたため、後を継いだアレクサンドル三世とニコライ二世は自由主義的な思想を警戒し、軍や警察によって民衆を弾圧する社会でした。
また、宗教は本来政治からは独立した存在であるべきなのに、1721年にピョートル一世がモスクワ総主教を廃し、「宗務院」(シノド)という国家機関がロシア正教会を管理する体制となって、ロシア革命まで継続しました。ちなみにモスクワ総主教位を復活させたのはレーニンです。共産党は宗教を否定しているはずなのに、ロマノフ王朝を滅ぼしたことで、ロマノフ王朝が始めた宗教管理システムを取り止めるという皮肉な流れになりました。
いずれにせよ、トルストイは民衆を弾圧する政府を批判しただけではなく、教会も国家権力と癒着していると批判したのですが、それは彼が反キリスト教主義なのではなく、社会環境がこのような特殊な状態にあったことを考慮する必要があります。
しかし、反政府的・反(当時の)教会的言動を繰り返し、それに賛同する人々が増えてくるとなっては、体制にとって「好ましくない人物」と見なされるのも仕方なかったでしょう。
トルストイは1899年に『復活』を刊行しましたが、宗務院は「教会の教えに反する内容」と批判。1901年に彼の破門を発表しました。
しかし、このことで彼の社会活動家としての名声は世界的に高まる結果となりました。
彼は最終的には、自分が唱えている理想と大金持ちである自分自身との矛盾にさいなまれ、家出して田舎の駅舎で寂しく亡くなりました。理想を求めたばかりに悩んで死ぬなんて、彼は幸せだったのだろうか…本人に会って聞きたいくらいに思います。
さて以前、私がずっと引っ掛かっていたのは、「トルストイの破門」とはどういう扱いなのかということでした。
信仰とはその人のものであり、洗礼を受けている信者を「教会側の都合」で追放するという発想は、正教会の考えとしては極めて不適格です。これはどちらかと言えば、ガリレオらへの異端審問に見られるように、昔のカトリック教会の「お家芸」でしょう。
もちろん正教会には一応、制度としての「エピテミヤ」(懲戒)があります。それは、特定の信徒の言動に問題があり、注意されても改まらない時、教会として一定期間の領聖を停止する、つまり信者としてパンと葡萄酒に与れない措置を取るというものです。実質的には「当分の間出入り禁止」と言い換えてもいいでしょう。
これは、本人に誤りを自覚させるのが目的であって、本人が反省して悔い改めたなら教会としてはその人を赦して再び受け入れます。
つまり教会の意地悪ではなく、本人の救済のためです。
これはルカ伝15章の「放蕩息子のたとえ」にならうものです。つまり教会の側から信者に「お前なんか二度と戻ってくるな」と言うことは、教会が反聖書的という矛盾になりかねないのです。
この問題については以前、ネットニュース「Russia Beyond」に記事があり、明確な答えが得られました。
「トルストイ伯が悔い改めるまでは…」 - ロシア・ビヨンド https://t.co/HZs7d432uI
— 九州の正教会 日本ハリストス正教会九州管区 (@ocjkyushu) 2021年9月9日
記事によれば、トルストイ破門から100年経った2001年、彼の玄孫のウラジーミル・トルストイ氏が総主教庁に破門の取り消しを求めたところ、「教会が破門したのではない。トルストイ自身が教会から離れた事実を、教会側が追認したに過ぎない」と回答があったとのことです。
これだけ読むとと木で鼻をくくったようですが、1901年の宗務院の発表内容も引用されており、そこには「トルストイ伯が悔い改め、教会との紐帯を回復するまでは」と条件が書かれています。
つまり「トルストイの破門」という、教会外の人にはセンセーショナルな文言が独り歩きしているのですが、実態は破門ではなく上記の「エピテミヤ」だということです。つまり、「トルストイ運動」をはじめとする彼の言動が「自らの意思で」当時の教会と対決するものであり、しかも社会的な影響が大きい人物だったので、教会側も「教会と袂を分かつなら仕方ないが、本人が悔い改めるなら再び受け入れる」という対応をしたのです。
教会による「破門」とか「異端宣告」とか「断罪」みたいな言葉を聞くと、教会自体が傲慢で権威主義的な存在であるように思われてしまうのですが(残念ながらトルストイ自身もそう思っていたのでしょう)、本当はそうではないということを正教徒自身も含めて正しく理解してほしいと思います。