一昨日、8月28日は正教会の大祭「生神女就寝祭」で、正教文化圏では盛大に祝われると書きました。
私は以前、海外の教会で実際に生神女就寝祭を体験してきましたので、今日はその思い出を書くことにします。
2015年8月はルーマニアを巡礼しました。ルーマニア人はほぼ例外なく正教徒であり、正教会の伝統文化が根づいている社会です。
トランシルバニア地方にある1555年創立のニクラ修道院は、1681年に描かれた生神女マリヤのイコンがあり、その前で祈ると病気を治す奇蹟が起きると言われています。
そのため、修道院の堂祭(教会の記念日)である生神女就寝祭には、ルーマニア全国からそのイコンを見るために30万人もの人々が集まると聞きました。
尖った屋根の木造聖堂はこの地方の典型的な古い教会建築です。
トランシルバニアは中世から第一次大戦後までハプスブルク領でしたが、ハプスブルク家は正教会を迫害しており、石やレンガで聖堂を建てることを禁止していた時期がありました。そのため、木造の教会建築が発展しました。
わが国の寺社仏閣と相通じるたたずまいを感じます。
私が訪ねたのは生神女就寝祭の当日(ルーマニア正教会はグレゴリオ暦を採用しているため8月15日)ではなく、直前の日曜日でしたが、それでも2千人ほどの参祷者がありました。
主聖堂に収容しきれないので、聖体礼儀は屋外で執り行われ、私も陪祷(その教会の聖職者と共同で司式の意味)しました。
聖職者はステージのような場所で司式するのですが、屋外コンサートのようで、私には初めての経験でした。
この修道院に限らず、私は海外の教会に行った時、日曜日の聖体礼儀は現地の教会で陪祷させてもらっています。典礼の言語は先方は現地語、こちらは日本語ですが、聖体礼儀の式次第は世界共通であり、今どこをやっているかは当然分かりますので、祈りに関しては言葉が通じなくても全く困りません。キリスト教正教会という、世界共通の信仰で一致している素晴らしさを実感します。
正教圏の人々には極東の日本に自分たちと同じ教会があり、日本人の神父がいることが本当に驚きのようで、とても歓迎されます。私たちがお寺で西洋人のお坊さんに会うような感覚かも知れません。
さて、この教会の聖歌隊は若者ばかりでとても上手でした。尋ねたら何と実の兄妹7人で結成している合唱団! CDも出していて、プレゼントしてくれました。「サウンド・オブ・ミュージック」のトラップファミリーを見るようでした。
帰りには修道院から奇蹟のイコンの写しをいただき、今も大切にしています。
2016年8月はジョージアに巡礼。
ジョージアは320年代、隣国のアルメニアに次いで世界で二番目にキリスト教を国教とした歴史ある国です。歴史上、周囲の外敵からの侵略に耐えて独立を守ってきたジョージア人にとって、正教会はまさに精神的アイデンティティとなっています。
8月28日の生神女就寝祭は西部・クタイシのバグラティ大聖堂で聖体礼儀に陪祷しました。
この聖堂は1003年、当時の国王バグラティ三世によって建てられました。1691年、侵入してきたオスマントルコ軍の砲撃によって破壊され、廃墟になってしまいましたが、1994年にユネスコの世界遺産に登録されました。
ジョージア正教会は礼拝を執り行えるよう、2012年に聖堂を創建当時の状態に復元しましたが、世界遺産登録した時の現状を損ねたということで、世界遺産は取り消されてしまいました。教会は廃墟を見物するための場所ではなく、お祈りをするための場所なのに、 これでは何のための世界遺産か訳が分かりません…
生神女就寝祭はこの聖堂の堂祭で、しかも日曜日だったため、巨大な聖堂に参祷者がたくさん来ていました。
聖歌隊は見るからに地元のおばさんという感じの女性たちでしたが声量があり、とても素晴らしいジョージア聖歌の合唱で度肝を抜かれました。
正教会ではどこの教会や修道院でも祈祷後は、食堂で愛餐会(昼食会)となるのですが、この聖堂は廃墟を復元したものなので、信徒会館などの付属施設は何もありません。
それで屋外に聖歌隊の人々がテーブルを出して、持ち寄りの昼食を取っていましたので私もお相伴に与りました。ジョージアの家庭料理、作り立てのチーズや新鮮な野菜、ペットボトルに詰めた手作りのワイン等々、どれも美味しかったです。
また大祭と日曜日が重なったためか、聖堂には結婚式のカップルが次々と来ました。聖体礼儀後、1時間に一回くらいのペースで結婚式が行われ、聖堂の外に順番待ちのカップルが待機していました。
バグラティ大聖堂の後、教会を二か所訪ねましたが、どちらでも結婚式が行われていました。まさにわが国の有名神社の大安吉日みたいな光景で、冠婚葬祭の場でも教会が人々と密接に結びついているのを実感しました。
海外巡礼に行く機会はこの3年ほどなく、さらに今はコロナ禍もあって渡航は一層難しくなっていますが、教会の伝統が何百年も蓄積された地を見分するのは間違いなく信仰生活にプラスとなります。海外の教会を再び訪ねる機会が巡ってくることを祈るばかりです。