九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。熊本県人吉市から情報発信しています。

マザーテレサの故郷の思い出

今日、8月26日はマザーテレサ(1910-1997)の誕生日です。

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マザーテレサNHKアーカイブスのサイトより転載)

マザーテレサの偉業は改めて言うまでもないのですが、彼女はインド・コルカタで活動していたので、私は恥ずかしながら10年ほど前まで、彼女はインド人だとばかり思っていました。

 

しかし、マザーテレサの出身地はインドではなく旧ユーゴスラビア、現在の北マケドニア共和国の首都スコピエです。

私は2015年4月にマケドニア(現・北マケドニア)を旅し、彼女のゆかりの場所を訪ねたことがあります。

 

マザーテレサが生まれた1910年当時は、北マケドニアどころかユーゴスラビアも存在しておらず、スコピエオスマントルコ領で、町の名もユスキュプといいました。

彼女の生家はずっと残っていたそうですが、1963年7月のスコピエ地震で倒壊してしまい、跡地に石碑だけが造られていました。

 

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マザーテレサの生家跡の石碑

彼女はアルバニア人で、本名ゴンジャ・ボヤジュ。両親とも敬虔なカトリック信者で、彼女もアグネスの名で洗礼を受けています。ちなみにゴンジャとは、アルバニア語で「つぼみ」という意味です。

 

ボヤジュ家の人々が通っていた教会は、現在は「マザーテレサ・メモリアルハウス」という記念館になっています。

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マザーテレサ・メモリアルハウス

内部にはマザーテレサの遺品や手紙が展示されています。写真は撮っていませんが、彼女の手紙を見たら、筆記体の字がペン習字のお手本のように綺麗だったのがとても印象に残っています。外国語の直筆をそんなにたくさん見たことはありませんが、少なくとも私が見た中では一番字が綺麗な人だと思います。

 

メモリアルハウスの2階はガラス張りの小聖堂になっています。

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マザーテレサ・メモリアルチャペル

 

さて、マザーテレサアルバニア人と書きましたが、アルバニア人の多くはイスラム教徒です。またスコピエを含むマケドニア地方は旧ビザンチン領であり、地域の教会はほぼ全て正教会です。

つまりカトリック教会と接する機会の少ない、というかゼロに等しい環境だったにもかかわらず、ボヤジュ家はキリスト教に入信するにあたって正教会でなくカトリックを選んだわけで、どういう経緯でそうなったのか大いに関心があります。それについて書かれた資料を見たことがないのですが、どなたかご存じでしょうか。

 

さて、北マケドニアユーゴスラビア社会主義体制崩壊に伴い、1991年に誕生した新しい国です。歴史上この地域は、アレクサンダー大王、ローマ=ビザンチンブルガリアセルビアオスマントルコユーゴスラビアと、様々な支配者が治めてきましたが、独立国だったことはありません。

そのせいか建国後、スコピエには歴史上の人物の巨大な銅像がたくさん建てられて、「わが国はこういう人々を継承している」というアイデンティティ作りに腐心しているような印象を受けました。

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アレクサンダー大王

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スラブ系正教会の祖・キリルとメトディオス兄弟像

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アレクサンダー大王の父・フィリップ像

実際、現地ガイドは銅像を指して「わがマケドニアの偉大な先祖たちです」と誇らしげに説明していたのですが、私には未だに社会主義体制なのではないかと思いたくなるようなセンスに見えましたし、「アレクサンダーもキリルも、そもそもギリシャ人じゃないか」とも思いました。しかし同行者に「彼らの前でそれを言ってはいけない」と言われたので黙っていました(笑)。

もっとも、そういう銅像群を除けば、マケドニア農畜産物が豊かで食べ物が美味しく、風光も明媚で、わが国の北海道に相通じるような魅力的なところでした。

 

話をマザーテレサに戻すと、彼女は18歳でスコピエを離れ、アイルランドの修道会に入りました。そしてすぐにインドに送られて生涯を過ごし、再び故郷に戻ることはありませんでした。

それゆえ、マザーテレサの故郷であるマケドニアは影が薄くなってしまったのかも知れませんが、上記のようにとても素敵な場所でしたので、いつかまた再訪したいと思っています。