火曜日に東京で父の墓参に行ったと書きました。
父の実際の命日は今日、7月16日です。
7月16日に亡くなった人物で最も有名なのは、たぶん指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンだろうと思います。
カラヤンが亡くなったのは1989年。そのちょうど20年後の2009年7月16日に、私の父が亡くなりました。ただの偶然であって、父は音楽に縁もゆかりもないですが(笑)
ちなみにカラヤンが亡くなったわずか1年後の1990年10月、レナード・バーンスタインが亡くなっています。私はクラシック音楽を聴くのが好きなのですが、こんなに立て続けに超大物の巨匠がいなくなってしまい、クラシック音楽の世界はどうなっていくのかと思った記憶があります。
そもそも89年は11月にベルリンの壁が崩壊し、東欧の「共産主義体制」自体が消滅に向かっていて、世界がこれからどうなるのかと思われていました。
また、私が結婚したのはカラヤンが亡くなった2か月後の89年9月。長男が生まれて初めて人の親になったのは、バーンスタインが亡くなった2か月後の90年12月でした。今から思うと、自分自身の人生もこれからどうなっていくかなと、初々しい新婚生活でウキウキしていた時期でもあります。
社会面でもプライベートでも、いろいろな意味でこの時期は思い出深いものがあります。
さてカラヤンは多くの録音を残しており、私も彼の指揮による演奏のCDをたくさん持っています。カール・ベームやオイゲン・ヨッフムのような同時代のドイツ人の指揮者は、ベートーヴェンやブラームス、ブルックナーなどのドイツ・オーストリア系の作曲家の作品ばかり演奏しているのですが、カラヤンはかなりレパートリーが広いです。
しかし私自身の好みからいうと、カラヤンの演奏は速さがインテンポすぎて、聴いていてあまり面白みを感じません。音楽評論家でもないのに偉そうですが(笑)
彼の生涯最後の録音は亡くなる3か月前にウィーン・フィルを指揮して演奏したブルックナーの交響曲7番です。
カラヤンは外見にもこだわりがあったと言われており、実際指揮する立ち姿はなかなか美しいものがありましたが、さすがに晩年の数年間は映像を見てもヨボヨボで、ちょっと痛々しい姿でした。(最後の演奏の映像は格好良かった頃の写真の固定画像であり、実際の演奏の時の映像は残していない)
他の指揮者も晩年で体が衰えてくると、総じてテンポがもたつき気味になります。
しかし、このカラヤン最後の演奏は比較的早めの淡々としたテンポです。個人的には「淡々としたブルックナー」というのは好きではないのですが…
しかし、カラヤンの指揮によるチャイコフスキー作品の演奏だけは、とても歌心があって引き込まれます。よほどチャイコフスキーの作風がカラヤンの好みに合っているのではないかと思います。要するに指揮者の感情移入の度合いが、他の作曲家の作品を指揮する時と極端に違うように感じられるのです。
ですのでチャイコフスキーのオーケストラ作品を聴くときだけは、カラヤン指揮の録音を選んでいます。
ご紹介するのはカラヤンが亡くなる前年の88年5月、サントリーホールでベルリン・フィルを指揮して演奏したチャイコフスキーの交響曲6番「悲愴」です。カラヤンは何回も来日していますが、これは日本での最後の演奏ということになります。