5月24日(ユリウス暦の5月11日)は、キュリロスとメトディオス兄弟の記念日です。
彼らは9世紀にテッサロニキで生まれたギリシャ人で、弟のキュリロス(スラヴ語でキリル)はスラヴ語のアルファベットである「グラゴル文字」を考案しました。彼らの死後、弟子のオフリドのクリメントがグラゴル文字を改良し、師の名にちなんで「キリル文字」と名づけました。
キリル文字は今日でもロシア語、ウクライナ語、ブルガリア語、セルビア語といったスラヴ系言語の文字として使われています。
そのためキュリロス兄弟にちなんで、5月24日はロシアで「スラヴ文字と文化の日」、ブルガリアでも「文化の日」とされています。
写真は私が2015年にマケドニア(現・北マケドニア)の首都スコピエを訪ねた時に撮った、キュリロス・メトディオス兄弟像です。マケドニアだけでなく、ロシアでもセルビアでも、私が訪ねたスラヴ系の正教国ではどこでも彼らの銅像が立っていました。
ではなぜ、彼らはスラヴ人に文字を作ったのでしょうか。それはキリスト教の宣教のためです。
860年代にモラビア王国(現在のスロバキア)のラスティスラフ王がキリスト教を受容することを決め、ビザンチン帝国に宣教師の派遣を要請しました。そこでスラヴ語ができるコンスタンティノス(後のキュリロス)と兄のメトディオスが選ばれ、モラビアで東方正教の宣教活動を行ったのです。
彼らの母語はギリシャ語であり、またそもそも聖書はギリシャ語で書かれた本です。しかし、彼らはスラヴ人にギリシャ語を押し付けるのではなく、聖書やその他の祈りの言葉をスラヴ語に翻訳して宣教しました。そしてそれまで文字のなかったスラヴ語のために、ギリシャ文字を元に「グラゴル文字」を考案したのです。
また、聖書などをグラゴル文字で文書化していくにあたり、話し言葉しかなかったスラヴ語が「古代教会スラヴ語」として体系化されました。現在もロシア正教会の典礼は現代ロシア語ではなく、教会スラヴ語で行われています。
キュリロス・メトディオス兄弟の宣教の甲斐があって、世界に2億数千万人いる正教徒のうち、今も7割以上がスラヴ系民族です。聖書のスラヴ語への翻訳と文字の発明が貢献しているのは言うまでもありません。さらに文字によって、スラヴ民族はキリスト教とともに宗教以外の文化を受け入れることもできたというわけです。
私はよく「水野さんの教会はロシア語でやっているのですか」と尋ねられます。「なぜそう思うのですか?私は日本人だし、私は日本の教会の司祭なのですが」と聞き返すと、「だってカトリックはラテン語でしょ。水野さんのところは『ロシア教』だからロシア語じゃないんですか」と言われます。
ロシア語はロシア人が話す言葉だし(しかもロシアの教会の典礼は教会スラヴ語であってロシア語ではない)、日本のカトリック教会の典礼もラテン語ではなく日本語で行われています。さらに言うなら正教会は前述のようにスラヴ系民族が多いとはいえ、あくまでも世界共通のキリスト教であってロシア教ではありません(笑)。
こういう誤解が生じるのは、カトリック教会が千数百年間もラテン語の典礼しか認めて来なかったという歴史があり、それがキリスト教の「標準」であるかのように思われているからでしょう。
しかしそれはあくまでもカトリック教会という「単立教派の特殊事案」であって、本来キリスト教会はその歴史において、ラテン語などの特定の言語を押し付けるのではなく、常にその民族の母語に翻訳して宣教してきました。
前述のスラヴ語だけでなく、それ以前にも中東のアラブ人、コーカサス地方のジョージア人やアルメニア人、アフリカのコプト(今日のエジプト)人やエチオピア人に、彼らの言語で宣教が行われ、今もその言語で典礼が行われています。
また教会スラヴ語とキリル文字でキリスト教を受容したロシアを経由して、さらに正教が伝わったアメリカは英語、日本は日本語に聖書も典礼も翻訳されています。
この正教会の基本的な考えは新約聖書の使徒言行録第2章に記された「聖霊降臨」を受け継ぐものです。
聖書の記述によれば、キリストの復活と昇天の後の五旬祭(過越祭から50日目)の日、使徒たちが集まっているところに聖霊が降り、「他の国々の言葉で話し出した」(使徒2:4)とあります。「全員ラテン語で話し出した」とは書いてありません(笑)。
使徒たちは外国に住んだことがなく、かつては漁師などの労働者階級に属していて高等教育を受けていない人々ですから、外国語をマスターしていたはずがありません。つまりこれは神自身の助けを得て、使徒たちが世界中に福音を宣べ伝え、人種や民族を問わず全ての人々を信仰に招くことの証しなのです。
このように聖書に記された使徒以来の伝統を受け継ぐ「翻訳による宣教」を、キュリロスとメトディオスも実践したわけです。これは宗教のジャンルに留まらず、「外国語の翻訳と文字化」の意味において文化史上の大きな功績だと考えます。
多くの人々に知られてほしいことだと思っています。