小倉の紀行文に続いて、今日は門司の紹介です。
一昨日の船舶成聖式を依頼されていた場所は門司区の太刀浦埠頭。小倉のホテルから現地へ向かう途中に、関門海峡のビュースポットである「めかり公園」があります。
祈祷の時刻まで余裕があったので、立ち寄って景色を眺めました。(一昨日の投稿のように、結局トラブルがあって、現地に早く着いたにも関わらず乗船に遅刻してしまったのですが)
展望台は何か所かありますが、駐車場のある頂上の第一展望台は立木が邪魔で景色が今ひとつ。その下の第二展望台をお勧めします。
写真の手前は門司港、奥は下関です。大河の河口のようです。
海峡の一番狭いところの幅はわずか600m。関門橋を見ると本州は目と鼻の先だというのが良く分かります。
海底には関門トンネルの「人道」があり、歩いて下関まで往復できますが、今回はそこまで時間がないので止めておきました。
この狭い海峡部が源平合戦の決戦場となった壇ノ浦です。
第二展望台には壇ノ浦の合戦の巨大なレリーフが造られています。
1183年、木曽義仲に都を追われ、安徳天皇を奉じて西国に落ち延びた平家は、義仲と源頼朝との争いの間に勢力を盛り返し、瀬戸内の水軍力を背景に再び東に攻め上りました。
しかし、源義経に一ノ谷と屋島で敗れ、勢力圏だった九州も源氏の手に落ちて、平家は下関に追い詰められました。
旧暦1185年3月24日、この壇ノ浦での最後の決戦で平家は滅亡。源頼朝による史上初の武家政権時代(鎌倉時代)が始まったことは誰でも知っています。(私が学校で習った鎌倉時代の発足年は1192年でしたが、今は平家滅亡の年の1185年とされています)
さて、めかり公園には日本で唯一のミャンマー仏教寺院「世界平和パゴダ」があります。
この寺は昭和33年、日本と旧ビルマの親善のために建立されました。一時、僧侶不在で閉鎖されていた時期もあったようですが、現在はミャンマー人僧侶がいて、世界平和の祈念とビルマで戦死した日本兵の供養をしてくださっています。
日本人としてとてもありがたく思いますが、現在はミャンマーの方が平和とは言えない社会情勢になってしまいました。ミャンマーから不当な人権弾圧がなくなって、無辜の市民に平和が訪れることを、こちらはただ祈るしかありません…
船舶成聖式を終えて、そのまま人吉に帰るのも勿体ないので、門司港の「レトロ地区」を散策しました。
門司港は明治22(1889)年開港。石炭の輸出港として栄えました。
戦後は石炭産業の衰退とともに港も寂れてしまったようですが、95年に行政が「門司港レトロ地区」として整備し、2015年にユネスコの世界遺産に指定されたこともあって、今はかなり見栄えのする街並みとなっています。
日本ではなく、ドイツや北欧あたりの港町に来たような景色です。
1914年に建った門司港駅は国の重要文化財。JRの駅で重文は全国で東京駅と門司港駅の二つだけです。
門司港駅の向かいにある旧門司三井倶楽部は、三井物産が1921年に建てたもので、これも国の重要文化財。
他にも明治から大正にかけて建てられた歴史的建造物がたくさんあります。
こちらの大連友好記念館は95年に建った新しい建物ですが、1902年に帝政ロシアが大連に建てた東清鉄道汽船の社屋を復元したものとのこと。
市内には古い建物はもっとたくさんあり、また焼きカレーなどのご当地グルメも有名なのですが、今回は仕事帰りのため、時間がなくて立ち寄れなかったのが残念です。
時間の余裕にある時に再訪して、じっくり門司の魅力を味わいたいと思いました。