今日は熊本ハリストス正教会で、赦罪の主日(Sunday of Forgiveness)の聖体礼儀を行いました。
コロナ禍とはいえ、14人も参祷者がありました。私が一昨年に九州に着任してから、熊本教会では最多です。
着任当初は参祷者ゼロの時もありましたが、今は夢のようです。
日没から今年の大斎となります。
この大斎を、正教会は一人ひとりが「他人を赦す」ことでスタートします。これはキリストご自身が教えてくださった唯一の祈り「主の祈り」(マタイ6章)にある「我等に債ある者を我等免すが如く、我等の債を免し給え」の実践です。
私たちが誤解すべきでないのは、他人を赦しなさいとは「他人を嫌ったり、憎んだりするのは神様への罪です。だから嫌いな人がいても我慢しなさい」「社会には和が必要ですから、迷惑をかける人がいても見て見ぬふり、なかったことにしなさい」みたいな道徳上の義務感や社会の同調圧力に基づくものではないということです。
他人への憎悪や恨み妬みというのは、たとえ相手に目に見える原因があったとしても、詰まるところ自分の感情に過ぎないのです。
相手が悔い改めるかどうかは相手次第ですから、相手が変わらない限り自分の側はずっとネガティブな感情に拘束されたままです。
つまり、相手の悔い改めに期待して、それで苦しんで損をしているのは自分ということになってしまうのです。
そこで事実は事実で受け止めた上で、相手の態度が変わろうが変わるまいが、相手との過去を赦すことにより不愉快なモヤモヤ感を自分から放棄してしまいましょう。それで解放されるのは自分の心の方ですよ、ということになるわけです。これは「見て見ぬふり」「なかったことにする」とは全く異なる話です。
まあ、自分自身も「言うは易し行うは難し」なのですが…
下の写真は、昨日散策した熊本大学キャンパス内の桜です。熊本県は今日、桜の開花宣言が出ましたが、ヤマザクラは早くも見頃になっているようです。
この花のように、大斎を経て自分の心も綺麗になれたら良いと思っています。