九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。熊本県人吉市から情報発信しています。

鹿児島で一番の梅の名所と歴史散歩

先週末は鹿児島に巡回しました。

土曜日は鹿児島市に入る前に薩摩川内市へ。市内の藤川にある鹿児島の梅の名所No.1、藤川天神に立ち寄りました。

 

藤川天神には菅原道真が植えた一本の「臥龍梅」が150本に増えたと言われており、国の天然記念物に指定されています。

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天然記念物「藤川天神臥龍梅」

臥龍梅のエリアは柵で囲われて入れませんが、それ以外の境内のエリアには数百本の梅が植えられ、実に見事な眺めでした。

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藤川天神の梅

 

ここを訪ねる数日前、テレビのローカルニュースでこの神社の宮司が、最近は野生の鹿の食害が酷くて、鹿の口が届く高さの梅の枝が食べつくされてしまったと言っていました。しかし、実際に来てみると梅は満開で、全く気になりませんでした。鹿より人間の方が背が高いからでしょう。

 

この藤川は菅原道真終焉の地という伝説があり、境内には道真の墓と伝えられている跡があります。

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伝・菅原道真の墓

しかし、道真が亡くなったのは大宰府に左遷されてわずか2年後の903年であり、車も鉄道もない時代なのに、大宰府から200㎞以上も離れた薩摩の山奥まで道真が実際に来ることができたとは到底思えません。その意味では藤川天神の梅を道真が植えたということ自体、マユツバじゃないのと言わざるを得ないのですが…

いずれにせよ、道真が亡くなった10世紀には、この地に菅原道真信仰が根づいたということでしょう。歴史のロマンです。

 

境内にはさらに、西郷隆盛の愛犬ツンの銅像があります。

上野の銅像の西郷さんが連れている、あの犬です。

なぜ西郷さんの犬の銅像がここに、と思ったら、ツンはこの藤川で生まれて西郷に引き取られたとのこと。

今や薩摩川内市ゆるキャラも「西郷つん」です。

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西郷隆盛の愛犬「ツン」像

藤川天神を出て、そのまま鹿児島市まで行くのも味気ないので、薩摩川内市中心部の新田神社も見学することにしました。

 

新田神社は薩摩国一の宮天照大神の孫、瓊瓊杵尊ニニギノミコト)の終焉の地とされています。

ミコトの墓「可愛三陵」(えのみささぎ)に併設された神社が、この新田神社の由来だそうです。

 

322段の長い石段を上がると、県指定文化財の社殿が。

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鹿児島県指定文化財・新田神社社殿

さらにその傍らには大きなクスノキがあります。薩摩川内市指定文化財の「新田の大樟」です。

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新田の大樟

樹齢は650年から800年の間と書いてありましたが、ということはこの木が生えたのは、おそらく鎌倉時代(1185-1333)のどこか。

その後の南北朝、戦国時代、戊辰戦争西南戦争、日清・日露戦争、太平洋戦争と、わが国の動乱の歴史を薩摩の片隅で見守り続けてきたのかと思うと、感慨もひとしおでした。

 

社殿の裏手にある可愛山陵も見てきました。

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瓊瓊杵尊の墓・可愛山陵

皇室のご先祖の墓ですので、歴代天皇陵と同じく宮内庁の管理地である看板が出ていました。昭和天皇や現上皇陛下ら、皇族方がこれまで9回、参拝されているそうです。

正確には写真の鳥居が墓なのではなく、新田神社の建っている山全体が御陵であって、神社は我々の言う礼拝堂に過ぎません。

スケールの大きな話でくらくらしてきます。

 

藤川天神も新田神社も、司祭である私には異教の神殿ですから、私自身は柏手を打ったり手を合わせて拝むようなことはしません。しかし、これらの神社が地域の人々の信仰を集めて、千年以上もの歴史を積み重ねてきた事実には、敬意を払うべきと思っています。