九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。熊本県人吉市から情報発信しています。

モーツァルトの交響曲に人生を思う

今日は原稿書きでほぼ一日、パソコンの前に座っていました。

原稿を書く時は音楽を聴きながら、ということがほとんどです。

 

私はクラシック音楽が好きなのですが、「そう言えばこの歳になるまでモーツァルト交響曲を全部聴いたことがなかったな」と思ったので、今はモーツァルト交響曲全集のCDを購入して、作曲のほぼ時系列順に聴いています。

クリストファー・ホグウッド指揮、古楽アカデミーの演奏。古楽器による、なかなか端正でいい演奏です。

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いま愛聴しているモーツァルト交響曲全集

モーツァルトの最後の交響曲は第41番「ジュピター」ですが、その番号ゆえにモーツァルトが生涯で書いた交響曲はずっと41曲だとばかり思っていました。

しかし、実際は番号がついていない交響曲が何曲もあることを今になって知りました。同じ曲で版が違うものもあります。

そのようなわけで、この全集には72曲も収録されており、なかなか聴き終わりません。

 

モーツァルトは1756年に生まれ、1791年に35歳で死んでいます。

その短い生涯で、最初の交響曲は1764年、8歳の時の作品です。

たった13分間しかありませんが、ちゃんとオーケストレーションされた管弦楽曲です。


W. A. Mozart - KV 16 - Symphony No. 1 in E flat major

ピアノやバイオリンなどの楽器を奏者として上手く弾きこなすだけなら8歳児でも可能だと思うのですが、作曲なりオーケストレーションなり楽典なり、理論を伴うものを子どもがどうやって学んだのか、本当に不思議です。

 

しかし、私みたいなど素人が言うのは生意気なのですが、子ども時代の彼の交響曲はどの曲も同じように聴こえました。

突然作風が変わるのが25番からです。彼の交響曲の中で2曲しかない短調の曲(もう1曲は40番)です。


W. A. Mozart - KV 183 (173dB) - Symphony No. 25 in G minor

 

映画「アマデウス」の冒頭で使われたことでも有名ですが、メリハリのある作風に変貌しています。

この時、彼は17歳。もう既に天才少年音楽家として活躍していたのですが、子どもから大人への転換期ということなのでしょうか。どういう心境の変化があったのか興味があります。

 

さらに作風が重厚になるのが35番「ハフナー」からです。

よく「モーツァルト後期交響曲集」と呼ぶ場合、35番以降を指しているようです。あくまでもレコード会社の定義のようですが。


W. A. Mozart - KV 385 - 1783 Version - Symphony No. 35 in D major "Haffner"

 

「ハフナー」が書かれたのは1782年、26歳の時ですが、彼の年譜を見ると前年にザルツブルク大司教から解雇された後、ウィーンで心機一転活動を始め、また妻コンスタンツェと結婚した年に当たります。仕事の面でも私生活の面でも、大きな転機があったわけです。

私自身、キリスト教の洗礼を受けたのも、クリスチャンの女性と結婚したのも、新婚旅行先のギリシャで初めて正教会に接したのも、全て26歳の時でしたが、このくらいの年齢の時に人生の転機は巡ってくるのかも知れません。モーツァルトみたいな天才と自分を比較するのもおかしいのですが。

 

このウィーン時代は彼の死によって終わるのですが、天才少年ともてはやされていた頃と違って、彼はずっと借金漬けで不遇な生活を送っていたようです。しかし、交響曲だけではなく、「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」から最後のオペラ「魔笛」まで、後世に残る有名な作品の多くはこの時に書かれています。

20代半ばから30代というのは一番気力も体力も充実している時期だと思うのですが(私もその頃は前の会社で一番仕事ができていました)、そこに生活苦があったことで、音楽にもより説得力が増したのかな、などと思いました。

 

モーツァルトがもっと長生きできたらどんな人生を歩んだか、つまり誰かから認められて再び人気者になれたか、それとも才能が枯渇して人々から忘れ去られてしまったか、全く分かりません。しかし、モーツァルトほどの天才でも、そしてこんな短い生涯でも人生には転機があり、その後の心情も変わってくるわけです。

私は天才的な才能は何も持っていませんが、やはり予期せぬ人生の転機が何回もあり、今は生まれ育った東京から遠く離れた九州で、正教会の司祭などという、それこそモーツァルトが死んだ年齢の35歳当時からは想像もつかないことをしています。

これからまた私にどんな転機が巡ってくるのか、そもそも何歳まで生きられるのか、それこそ神のみぞ知るなのですが、その転機を楽しく受け入れられるような心の余裕を持ちたいものです。

 

今日はモーツァルト交響曲を聴きながら、そんなことをずっと考えていました。結果的に仕事が全然はかどらなかったのですが。