今日は人吉ハリストス正教会旧司祭館で、子育てママのサロンを開催しました。
年末年始に人吉球磨地方でコロナの新規感染者が続いたので、3週間ぶりの開催となりました。
人吉球磨のコロナ感染者はこれまでの累計でも10人程度であり、しかも医療関係者や施設職員が比率として多かったにもかかわらず、感染が全く広がらず、従っていわゆるクラスターも発生していません。奇跡的です。
しかし、こちらのように数人規模での集会であったとしても、お子さんが集まる場所で万一にも感染者がいたら大問題ですので、幹事さんは開催を自粛されたわけです。
今日は一歳児が二人。年齢が近いと警戒感がないのか、初対面なのに赤ちゃん語(?)で語り合って仲良くしていました。
コロナ対策と被災者支援活動と、両方を天秤にかけての綱渡りなのですが、まずは今日再開できて良かったです。
さて、政府の緊急事態宣言の対象地域が拡大されました。
九州では福岡県が国に要請していなかったにも関わらず、対象地域に指定されました。
熊本県も福岡県ほどではないにしても、人口当たりの発症率では全国ワースト10に入っています。当然、宣言の対象にしてもらうよう国に打診していたようなのですが、却下されてしまいました。
熊本県のコロナ発症率、全国ワースト10 1月4~10日の10万人当たり | 2021/1/13 - 熊本日日新聞 https://t.co/Ws9UwCFWaW
それによれば、熊本県の発症率は宣言対象府県となった愛知県や京都府を上回っています。
なぜ熊本県が外されたのか、県民としては釈然としないのですが、県としてはそれを受けて昨日、県独自の緊急事態宣言を発表。今日から施行されました。
内容は国の宣言とほぼ同じで、20時以降の飲食店の閉店と、不要不急の外出自粛の要請です。
熊本県、県全域の飲食店に時短要請 コロナ感染拡大で、独自に緊急事態宣言 | 2021/1/13 - 熊本日日新聞 https://t.co/yxnZWuDjSw
いつも思うのですが、この「不要不急の外出」の定義とは何なのでしょうか。人によって解釈が違う、極めて主観的な概念ではないでしょうか。
その意味では、わが国で「宗教団体」はとても微妙な立場に置かれてしまいます。
キリスト教徒にとって教会の祈りに与ることは、生きる上で必須の行為であって、決して不要不急の行動ではないと考えます。
私はその教会で神に仕える者ですから、どんなにコロナが蔓延しようと、自分自身が教会での祈りから逃げることはできません。
一方、信仰や祈りとは本人の自由な意思に属することであり、誰も妨げることはできないと、少なくとも正教会では考えます。
ですから、「自分は信者だが、教会に行くのは不要不急だと思うので、コロナが心配だから行かない」という人がもしいたとしても、教会が断罪することは絶対にありません。もし裁くのであれば、それは「神の仕事」であって我々ではありません。
そのようなわけで、わが熊本県にも隣の福岡県にも緊急事態宣言が敷かれたとはいえ、私としては教会での祈祷は従来どおり継続しつつ、信徒間での感染拡大につながらないように、教会内での感染防止策(三密の回避、マスクの必須など)を徹底。不安のある信徒はご自分の意思で参祷を「自粛」いただいて結構、というスタンスでいくしかないと考えています。
ちなみに、日本正教会のコロナに対する考え方については、以前ブログに掲載しています。
願わくは自粛警察などと呼ばれる人々から、「このご時世に教会の礼拝なんて『不要不急』のことをやっている」などと非難を浴びせられなければ良いが、と思いますが。
しかしそれ以前に、コロナが収束しさえすればこんな問題も解消するわけですから、コロナの感染防止のためにまずは自分がしっかりしなければ、と気を引き締めているところです。