九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。熊本県人吉市から情報発信しています。

病者平癒祈祷~他人のために祈ることの意味

月曜日に面識のないアメリカ人正教徒の方からメールが来ました。仮にグレゴリーさんとしておきます。

グレゴリーさんはこれまで熊本に長く住んでおり、熊本出身のケイ子さんと結婚して、今はノルウェーに住んでいるとのこと。

最近、ケイ子さんのお父様のT氏が倒れ、容態が悪化したので、会いに行って祈り(病者平癒祈祷)を捧げてほしいとの内容でした。

 

ケイ子さんはグレゴリーさんとの結婚にあたって熊本ハリストス正教会で洗礼を受けていますが、ご実家の方たちはクリスチャンではありません。 しかし信者から神父への依頼ということで、熊本市内のT家を訪問することを約束しました。

ただし、初めて行くお宅ですし、行っても会えなければ意味がないので、グレゴリーさんの方からきちんとT家のご家族に連絡して、趣旨を説明しておくようお願いしました。

 

アポは今日の16時だったので、カーナビを頼りに訪問。

T氏にお会いしたところ、言葉は出せない状態でしたが意識はありました。病者平癒祈祷を献じたところ、正教会の祈祷は歌になっていて聞こえやすかったのか、うっとりとされていました。

同席していた息子さん(ケイ子さんの弟)は「自分たちは信仰はないけれども、どんな宗教であれ、父のために祈ってくださる方がいて嬉しく思いました。ありがとうございました」と言ってくださいました。

 

ここに正教会の祈りの意味があります。

 

私たち正教徒は、当然自分たちが信じているものが正しいと考えています。そもそも正教会(Orthodox Church)という言葉自体が「異端に対する正統な信仰集団」という意味です。ですから正教会の解釈ではカトリック教会もプロテスタント教会も、正教会と考えに違いがある以上、すべて「異端」です。

しかし、これはあくまでも、自分自身の信仰を異端の教義に流されずにしっかり守るという意味であって、異なる信仰の人々を差別したり拒絶したりするという意味ではありません。むしろカトリックの方たちはカトリックの信仰、プロテスタントの方たちはプロテスタントの信仰をしっかりと守られることを私たちは尊重します。

しかしもし、カトリックプロテスタント正教会との違いを尋ねられたら、こちらは客観的に説明しますし、それでその人が納得して、自分の意思で正教会に移りたいと思ったら、その気持ちも尊重します。つまり、私たちは自分自身の信仰の良さを追求しているのであって、他宗教・他教派の悪口を言ったり、他人に東方正教への改宗を強制したりすることはありえません。

というのも、正教会では人間はみな等しく神に創造された兄弟姉妹であり、また神と同じように「自分自身の意思」を持った存在だと理解しています。ですから、人によって信仰している宗教が違ったり、あるいは神自体を信じていない人がいたとしても、それは人それぞれが自分の意思においてそうしているに過ぎないのです。

従って、宗教の違いを理由に他人を差別することは、人間の兄弟姉妹としての等しい関係性を毀損することであり、とりわけキリスト教信仰においては「あなた方に新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)「あなた方は敵を愛しなさい。人に善いことをし、何もあてにしないで貸しなさい」(ルカ6:35)と言っているイエスの言葉に反することと言えます。

キリスト教徒なのに非キリスト教徒を差別したり、入信を強制する者がいたら、それこそ反キリスト的な「異端者」だと断言します。

 

そのようなわけで私たち正教会では、相手の信仰の如何に関わらず、常に相手に善いことを行い、また相手の幸せのために祈ることが、聖書に記されたイエスの言葉の実践であり、「正統」だと自認するところの自分自身の信仰のあるべき姿と考えているのです。

 

もし私が九州に来ていなかったら、Tさんとお会いし、祈る機会もなかったことになります。

今日、Tさんと引き合わせてくださった神に感謝し、Tさんの快癒を今も祈っています。

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聖パンテレイモン(医療の守護聖人