九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。熊本県人吉市から情報発信しています。

九州新幹線に初乗車! 瀬戸内海へ出張

ギリシャの船会社から船舶成聖を依頼されました。

現場は瀬戸内海に浮かぶ岩城島という島にある造船所で、そこに明日の朝9時に直接行かなくてはなりません。

今は広島県尾道から愛媛県今治まで「しまなみ海道」で繋がっており、沿道の瀬戸内海の島々も陸路で行かれますが、岩城島しまなみ海道に接続しておらず、どこかでフェリーに乗らない限り行かれないことが分かりました。

行き方を思案した結果、成聖式前日の今日、九州新幹線で福山まで行き、レンタカーを借りて瀬戸内海の因島までしまなみ海道を通って行って前泊。明日の朝にフェリーで車ごと対岸に渡って現地入り、というルートが一番合理的だという結論に至りました。

 

そのようなわけで今朝、高速道で新八代まで行き、九州新幹線に乗車。

人吉は2020年の大水害以来、鉄道が不通のままなので、新幹線に乗るだけでも「最寄り駅」の新八代まで高速道路で行かなくてはならないという、不合理の塊みたいな生活環境です。

そのため、九州の中での出張はいつも車。九州の外への移動は常に飛行機でしたので、九州に住んでいるにもかかわらず、これまで九州新幹線に乗ったことは一度もありませんでした。

 

もともと鉄道の旅は大好きなので、子どものようにワクワクして乗車しました!


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13時過ぎに福山に到着。

駅の北側は福山城に隣接しています。

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福山でレンタカーを借り、しまなみ海道を1時間ほど走って、どうしても行きたかった大三島大山祇神社へ。

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この神社は軍神として源平時代以降、有名な武将たちの崇敬を集めました。

源頼朝義経の甲冑(ともに国宝)を筆頭に、武将たちが奉納した甲冑や刀剣が境内の国宝館にたくさん展示されています。国宝・重文の甲冑の所蔵数では日本一です。

閉館時刻の40分くらい前に滑り込みで到着し、お宝を見学。大満足です!

 

17時に宿泊地の因島・土生港に到着。

明日向かう対岸までの距離は300mほどしかなく、岸壁からは目と鼻の先に見えます。f:id:frgregory:20230116192843j:image

 

橋がかかっていれば何でもないのに、わざわざ船に乗らなければならないのが何とももどかしいですが…何はともあれ、お引き受けした祈祷ですから、明日はしっかりお勤めしてきます。

熊本教会に来て初めての洗礼式

今日は熊本ハリストス正教会に巡回。降誕祭の聖体礼儀を執り行いました。

1月15日に降誕祭とはずいぶん遅いように思われてしまいますが、一人で4教会を兼務している以上仕方ありません…


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聖体礼儀の前に、88歳のKさんの洗礼式を執り行いました。

私は九州に着任してから、福岡と鹿児島では洗礼を行っていますが、熊本教会では初めてです。

Kさんは執事長の奥さんですが、代々の信徒家庭に生まれた執事長との結婚後も60年近く洗礼を受けずに来ました。

しかし私が着任してから教会に通うようになり、ついに洗礼を決意されたのです。

私は司祭になってから14年で、既に100人以上に洗礼を授けてきましたが、今回は長い人生を歩んで来た方を信仰に導くことができて、とりわけ嬉しく思いました。

洗礼式の設営

洗礼を授ける

正教会では洗礼の後、洗礼盤の周りを三回まわる

 

降誕祭に加え、洗礼式もあっておめでたい日となりましたが、コロナ対策で祈祷後のパーティーは熊本教会でも自粛です。

しかし、それでは味気ないので、教会近くの料理屋に頼んで弁当を作ってもらい、さらにベーカリーでデニッシュを買ってきて、それらを参祷者に配りました。

参祷者に配った弁当とデニッシュ

 

コロナ禍は収束どころか拡大の一途で、教会活動も制約されっ放しなのですが、今日は熊本教会で十数年ぶりの洗礼式ということで、少しは明るく前向きな日曜日になったような気がしました。

九州の正教会は小さな牧群ですが、今後も地道に前進していきたいと思います。

西南学院大学博物館へ

今日は福岡まで足を延ばして西南学院大学博物館を訪ねました。

特別展の「キリスト教美術をみとく ―キリスト・聖母・聖人」を見学するためです。

 

展覧会自体は9月からやっていたのですが、全く存在に気がつかなくて最終日に駆け込み訪問となってしまいました…

 

博物館は正門を入って正面。なかなか立派な建物です。


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展示品自体はあまり多くありませんでしたが、キリストやマリヤの生涯、また聖人、特に使徒について分かりやすい説明が表示されていて、キリスト教入門的なコンセプトになっていました。クリスチャンでない方たちには親しみやすくて良い展示だと思いました。


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西洋のキリスト教絵画は私には珍しくありませんが、アジア諸国への宣教によって現地で描かれた絵画が結構あり、それは興味を引かれました。

 

香港で描かれた最後の晩餐の絵皿。

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18世紀のフィリピンで描かれた磔刑画。まるでイコンのような画風です。

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正教会のイコンも何点かありました。

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特に、ルーマニア独特のガラスイコンが展示されていたのが良かったです。

これはハプスブルク領時代のトランシルバニア地方で、正教会が迫害されて新たなイコンを描くことが禁止されたため、素人の信徒が既存のイコンの上にガラスを置いて、なぞって描いたことに由来するものです。

2015年に1週間ほどルーマニアに滞在し、現地の教会を訪ねてガラスイコンもたくさん見てきましたので、懐かしく思い出されました。

ちなみにルーマニアは長い間、オスマントルコオーストリアに分割されて統治されてきましたが、ムスリムのトルコ領では正教会が容認されて、同じキリスト教徒のハプスブルク家からは差別・迫害されるという、皮肉な歴史を歩んでいます。


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事務所では過去の特別展の図録や研究論考が何種類も販売されていたので、「イコン」「東方キリスト教との出会い」「明治日本とキリスト教」の3冊を購入しました。これからじっくり読ませてもらいます。

 


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福岡には出張で頻繁に行っていたし、九州各地の博物館も見てきたのに、今日の今日まで西南学院の博物館の存在を見落としていました。

今後、機会を見てまた来ようと思います。

 

 

 

 

福岡で降誕祭

本日、1月7日は降誕祭。

福岡伝道所で聖体礼儀を執り行いました。

九州の各教会の巡回日は日曜日ですが、せっかくの降誕祭なら祭の当日に祈祷したいと思い、福岡巡回は明日の日曜日ではなく今日にしました。

日曜日でないと来られない信徒もいるのですが、それでも普段より多い17人の参祷者があり、八畳間ほどの広さの伝道所がいっぱいになりました。

中学生以下の子どもたちも6人来ました。

降誕祭の聖体礼儀(ニケア=コンスタンチノープル信経の唱和)


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結果的に祭の当日に福岡で聖体礼儀をやって良かったと思いました。

なぜなら、戦火を逃れて日本経済大学太宰府市)に在学しているウクライナ人学生のダリナさん(仮名)が、今日の福岡の降誕祭をネットで調べて知り、参祷したからです。

 

もともと福岡伝道所には、いま激戦地となっているウクライナドネツク出身のイリナさん(仮名)が通っていると以前紹介しました。

 

frgregory.hatenablog.com

 

ロシア侵攻後、日本経済大学ウクライナ人の若者たちを救うために、彼らを留学生として受け入れており、イリナさんは日本語とウクライナ語の両方ができる日本では稀有な人材として、その大学で働いています。

「メンター」として、日本語が不自由な学生たちの日常のケアをするためです。

ダリナさんもイリナさんの受け持ちの学生だそうですが、イリナさんが教会に連れて来たのではなく、上記のようにダリナさんが自発的に参祷したいと思い、公共交通機関を乗り継いで来たのです。

ですので、伝道所でばったり遭遇した二人はお互いに驚いていました。

 

福岡伝道所は仮設の会堂で、大変分かりにくい場所にあり、看板も出ていません。

ネットで住所を検索すれば来られるとはいえ、日本人でさえ道に迷う人が少なくない場所によく来てくれたと思いました。

 

ちなみに日本経済大学に来ているウクライナ人学生は、イリナさんの受け持ちだけでも68人。ダリナさんの両親はウクライナに留まったままだと言っていましたが、他の学生の大多数も同じ状況のようです。

私のような寂れた田舎の教会の一司祭にできることには限りがあるので、せめてウクライナから九州に逃れてきている人々の役に立ちたいと思ってきましたが、今後はダリナさんだけでなく、他の日本経済大のウクライナ人学生たちのためにも、イリナさんと協力しながら自分ができることを考えたいと思います。

 

いま、全国的にコロナの感染拡大が大変な状態ですが、中でも九州は特にひどい状況です。

当然ながら、祈祷後のいわゆるクリスマスパーティー的なものは、今回で3年連続中止としました。

しかし、降誕祭の祈祷が終わってハイさよならというのも、信徒の皆さんには味気ないでしょうから、妻が袋詰めしたお菓子などをプレゼントとして配り、さらに用意したシャンメリーで乾杯してお開きにしました。

皆で乾杯(ノンアルコール)

来年の降誕祭は戦禍も疫病もない、平和と喜びの中で迎えられるようにと心から祈った一日でした。

ベネディクト16世の最後の言葉に思う

日本正教会では明日の1月7日(ユリウス暦の12月25日)が降誕祭です。私は福岡で降誕祭の祈祷を執り行うことにしています。

今日は降誕祭の前日、英語でいうクリスマスイヴです。

クリスマスイヴとは、わが国では「クリスマスの前夜」と誤解されている向きがあるのですが、日没から新しい日が始まるというのが伝統的なキリスト教の考えなので「前夜=当日」です。よってクリスマスイヴとは「降誕祭の前の日(日中)」を指すというのが正しい理解です。

正教会には降誕祭当日の祈祷とは別の典礼で「降誕祭前日の奉事」もちゃんとあります。

 

私も司祭になって、これで14回目の降誕祭の日となるわけですが、司祭である以上当然ながら冠婚葬祭(圧倒的に多いのは葬儀)も数多く執り行ってきました。

冬の時期、特に年末年始の前後は寒さが厳しいからか、永眠される方も少なくありません。そういうケースでは対応で暮れも正月もなくなってしまいます。

 

たまたま私のところでも、大晦日横浜市在住の伯父(母の兄)が亡くなりました。これから行われる葬儀は仏式で家族葬とのことで、また私も遠方に住んでいるため、欠礼せざるを得ないのですが、暮れも正月も無くなってしまった従兄弟(故人の息子)は大変だなと思っています。

 

さて同じ大晦日、前ローマ教皇ベネディクト16世が永眠されました。

ベネディクト16世バチカン公式画像より転載)

 

他教派の方なので、わが教会として特段の弔意を示すことはないのですが、「バチカン・ニュース」に前教皇が言い残した最後の言葉が紹介されていたのを見て、考えさせられました。

記事によれば、前教皇は永眠の数時間前、イタリア語で「主よ、愛しています」と言い、それが最後の言葉になったというのです。

 

記事の中でフランシスコ現教皇が以前に、ヨハネによる福音書21章を引用して話したコメントも紹介されていますが、私も見出しを見た時にまさに同じ個所を思い出しました。

 

いわゆる最後の晩餐の時、「たとえ、みんながあなたにつまづいても、わたしは決してつまづきません」と言うペトロに、イエスは「あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう」と予告しました。(マタイ26:33-34)

そしてその言葉のとおり、イエスが捕まって裁判にかけられている時、ペトロはイエスの仲間だと追及されて「そんな人は知らない」と三回否認しました。(マタイ26:69-75)

 

復活したイエスは弟子たちの前に、復活の日の夕刻に現れた(ヨハネ20:19)のを皮切りに何度も現れました。そして、彼らがティベリアス湖で魚を獲っている時にも現れたのです。

エスはペトロに「ヨハネの子シモン(シモンはペトロの本名)、わたしを愛しているか」と同じ質問を三回繰り返し、ペトロは「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることはあなたがご存じです」とその都度答えました。するとイエスは彼に「私の羊を飼いなさい」と言いました。(ヨハネ21:15-17)

 

このエピソードはイエスを三度否んだペトロに、三回「愛しているか」と問いかけることでペトロを回心に導いたという説明がなされます。

その解釈自体はもちろん間違っていませんが、しかし不十分でもあります。

なぜならイエスを裏切り、否認した者はペトロだけではないからです。

 

エスの逮捕の時、逃げてしまったのはペトロだけではなく、「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった」(マルコ14:50)と書かれているように、他の弟子たちも同じでした。つまり、イエスよりも自分の方が大事だったということです。

さらに他の人々はどうでしょう。総督ピラトはイエスに死刑判決を下す理由が見いだせず、「いったいどんな悪事を働いたというのか」と言っているにもかかわらず、群衆はこぞって「十字架につけろ」と叫びました。(マタイ27:23)

かつてイエスは奇蹟を行い、多くの病者や障害者を助けたのであり、そのことは当然多くの人が知っていたはずです。しかし、その場で「この人は良いことをしてくれて世話になった。彼は無罪だ」と言った人は、少なくとも聖書には一人も書かれていません。

つまり、「人間は誰でも、神を裏切ってしまう」のです。

 

よってイエスのペトロへの問いかけも、単に二者間の和解にとどまらず、全ての人間に対する普遍的な問いと解するべきです。

つまり「神である私は、あなたたち人間がどんな罪に陥ろうと愛している。人間であるあなたはどうなのか」ということです。

それに対して「こんなに罪深い私を愛してくださっているイエスを、私も愛しています」と言い切れることに、神の救いがあるのです。

つまり「神は模範的な人、優秀な人だけを選んで愛するから、神に気に入られるような立派な人間になりましょう」ではなく、「自分がどんな罪深かったとしても神は愛してくれるのだから、その罪と向き合って悔い改め、自分も心から神を愛しましょう」というのが、キリスト教の考え方です。

 

話を前教皇に戻すと、彼は95歳での大往生でした。そのくらい長命な人が人生の最後に言い残す言葉として思いつくのは、たとえば「〇子(妻の名)、ありがとう」という周囲への感謝、「ああ、いい人生だった」という自分自身の満足感、「(子や孫に)お前たち、仲良く暮らせよ」という遺族への伝達事項などでしょう。要するにこの世のことに対する自分の思いの表明です。

しかし、前教皇は最期にこの世への思いではなく、神への愛を表明しました。

私も今年で還暦となり、平均余命まで生きられてもあと20年くらいの人生でしょう。もしかしたら病気でもっと早く、さらには突然にこの世を去る時が来るかもしれません。

「主よ、愛しています」という最後の言葉に、彼が教皇であるとかないとかに関係なく、一人のクリスチャンとして、私も人生の最後まで神への愛を貫けるよう見習いたいと思いました。

 

もっとも私が「主よ、愛しています」と言い残して死んだら、妻は後々まで「あの人が愛していたのは私じゃなくて神だったのね」と言いそうですが…「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)というイエスの言葉にならって、今後は妻や他の周りの人ももっと大切にするように心がけます(笑)。

この新年が「主の禧年(よろこばしき年)」となりますように

新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

 

元日の今朝は晴天との予報だったので、初日の出を見に行きました。

司祭館のすぐ近くに小高い丘があり、頂上が村山公園という公園になっていて、人吉市内が見渡せる展望台があります。

昨年の初日の出は人吉ハリストス正教会の近くの球磨川の岸辺で見たのですが、川原より丘の上の方が良く見えるだろうと思い、7時に起きて妻と行ってみました。

九州の日の出の時刻は東京より30分ほど遅く、今日の日の出も7時18分なので、そのようにのんびり出かけても初日の出には楽勝で間に合うのです。

 

7時20分過ぎに村山公園の展望台に着くと、既に20台以上の車が!

これまで私が知らなかっただけで、どうやらここは人吉の初日の出の名所だったようです…

公園の大して広くない展望台にも30人近い人々がいました。

初日の出を見ようとする人々(7時30分)

しかし、写真でも分かるように辺りは一面の濃霧に覆われており、既に日の出時刻は過ぎているのに全く太陽は見えません。

 

球磨地方、特に人吉市は晩秋から冬にかけて濃霧で有名です。

これは盆地で昼と夜の寒暖差が極端なため、放射冷却で起きる現象です。

皮肉なことに放射冷却は、晴天の時に起きます。つまり、曇りや雨の日に霧は発生しません。

 

おそらく雲一つない空に昇る朝日が白々と輝いているはずにも関わらず、地上にいる私たちには全くそれが見えません。

濃霧で朝日は全く見えない(7時40分)

いま人吉では毎朝氷点下ですが、この時もマイナス2℃。

寒いのに加えて全く日の出が見えなくて、展望台にいた人も一人減り二人減り、ついに7時45分頃には公園に誰もいなくなってしまいました。

 

私たち夫婦も諦めて、人吉教会に向かいました。

 

教会では元日の祈祷である「新年感謝祈祷」(Thanksgiving Service of New Year)を執り行いました。

新しい年を迎えられたことを神に感謝し、この新しい年にも神が私たちに恵みを与えてくれるよう祈る内容です。

もちろん、ウクライナで苦しむ人々の救いと平和の実現も追加して祈っています。

新年感謝祈祷


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人吉に来て4回目のお正月ですが、元日の祈祷に信徒が来たことはただの一度もありません。

しかし、4教会を兼務している私が新年の祈りを人吉でしなければならない決まりはないし、信仰は自由ですから、信者が教会に来なくてはならない義務もないのでお互い様です。

ただ言えるのは、信者が100人来ようとゼロだろうと、私は司祭ですから祈ることは変わりません。来年は人吉以外のどこで新年を迎えるか、考えることにします。

 

祈祷を終えて司祭館に戻ると、ようやく霧が少なくなって太陽が空にぼんやりと見えました。

霧の向こうに見える太陽(10時)

妻の手作りのおせち料理で、二人で新年最初の食事をしました。(娘は起きて来ませんでした)

おせち料理と雑煮

熊本では新年に郷土料理の「からし蓮根」を食べる習慣があるそうなので、一切れ入っています。さすがに手作りではなく、買ったものですが。

また、熊本のお屠蘇は「赤酒」という、みりんに似た熊本特産の酒を用います。お屠蘇用の洒落た酒器は我が家にはないので、鹿児島の焼酎用の酒器「黒じょか」に入れました。肥後国薩摩国のコラボです。

鹿児島の黒じょかと熊本の赤酒のコラボ

ちなみに人吉球磨地方では県北の熊本地方と異なり、おせち料理には真っ赤に染めた「酢だこ」(年末のスーパーで山積みになって売られています)、飲み物は赤酒でなく「球磨焼酎」が必須なのですが、さすがに朝から焼酎は厳しいものがあるので夕食に回しました。

同じ九州どころか、同じ県内でも地域文化や習慣が様々だというのが、これまで地方での生活をほとんど経験したことがなかった私には実に面白く感じられます。

 

さて、話を教会の新年の祈りに戻します。

朗読される福音書はルカ4章16~22節。イエスが会堂で、旧約聖書イザヤ書61章を朗読して、「この聖書の言葉は今日実現した」と言った箇所です。

つまり、イザヤが預言した救世主の到来はイエス自身、すなわち神が人となってこの世に来たことによって実現したという意味です。

イザヤ書の該当箇所を全文引用すると次のようになります。

 

主はわたしに油を注ぎ

主なる神の霊がわたしをとらえた。

わたしを遣わして

貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。

打ち砕かれた心を包み

捕らわれた人には自由を

つながれている人には解放を告知させるために。

主が恵みをお与えになる年(を告知させるために)。

(イザヤ61:1-2、新共同訳)

 

ちなみに上記で「主が恵みをお与えになる年」と訳されている箇所は、日本正教会訳では「主の禧年(よろこばしき年)」となっています。

 

わが国では伝統的にお正月、特に元日が特別な日と位置付けられ、宗教とは関係なしに誰もが「今年も良い年となりますように」などと普通に言っているのですが、では「良い年」とは具体的に何なのでしょうか。

キリスト教ではこの聖句が示すように、「この世の全ての人間をとらえて離さない『死』とそこから派生する『生きることへの絶望』からの、キリストによる解放」と明確に位置付けています。

キリストが来られたのは2千年前ですから、とっくの昔に良い年は来ているのですが、罪深い人間の側がいつも悪い年に変えてしまっていると言えるでしょう。

死の恐怖も絶望も、世界中の誰にでも共通する問題ではありますが、ウクライナではまさにリアルで「打ち砕かれた心の人」「捕らわれた人」「つながれている人」が何万人もいることもまた、世界中の人々は知っているはずです。

この2023年、神が彼らを苦難から救い、解放してくださるよう私は祈ります。

 

ちなみに上記で引用したイザヤ書の聖句の続きは「わたしたちの神が報復される日を告知して」(イザヤ61:2)です。

政治指導者だけでなく、宗教者でさえも、あの侵略戦争が正しいものであるかのように言って憚らない人がいます。しかしそのように「人の心を打ち砕き」「人を捕らえ」「人をつなぐ」者には何が待っているかもイザヤは預言しているのです。

信仰も思想も自由ですから、神を信じようと信じまいと、あるいは神をどのようにねじ曲げようとその人の勝手ですが、それで自分は将来良い方に報いられるのか悪い方に報いられるのかと考えたら、良い方がいいに決まっています。

そのために求められるのは宗教や思想以前に、「良識」ではないでしょうか。

世界平和の実現の前提として、良識が優先される世界の実現を祈るばかりです。

 

今年もあと8時間 新しい年こそ平和の実現を!

今年もあと8時間を切りました。

 

この間の日曜日に人吉ハリストス正教会で降誕祭の聖体礼儀を終えてから、この1週間でやり残した仕事を猛スピードで片付けています。

さすがに年賀状などは教会関係者あてであれ、友人あてであれ、遅く着くのは失礼だと思っているので先週のうちに全部出しましたが、2月に講話した西日本教区主催の講演会「冬季セミナー」の講演録がまだできていませんでした。

自分が話した原稿をもとに、画像や資料の追加など、自分で講演録に編集して事務局に提出し、先方に校正と製本をしてもらうのですが、自教会の用事ばかり優先して延ばし延ばしにしていたのです。

2月に行った教区講演会の講演録を作成

字数で2万字ほどなのですが、28日(水)に提出できて、安心しました。

前倒しで書いていれば何でもなかったのですが、小学生時代の2学期の始業式直前と何も変わっていないので、我ながらつくづく成長していないと苦笑するばかりです。

 

昨日は司祭館の大掃除をして、妻が玄関に正月の飾り付けをしました。

司祭館の玄関の飾り付け

扇は能楽師だった妻の祖父が生前、仕舞を演じる時に使っていたものです。

また、左端のマンリョウは人吉教会の庭に植わっているものを切ってきて、球磨焼酎のお洒落な空き瓶に差しました。

正月気分が高まりました!

 

さて2022年を振り返ると、何といってもロシアのウクライナ侵攻という悲劇が起きたことで、忘れることができない年となりました。

ロシアもウクライナも一応は多民族・多宗教国家ではありますが、実際はキリスト教正教会アイデンティティの中心にあることは間違いありません。その正教徒が正教徒を侵略するという、文字通り神をも畏れぬ暴挙に、同じ正教徒である私は怒りと悲しみに今も満ち溢れています。

 

ちょうど今朝、NHKで2019年に放映された「世界ふれあい街歩き ウクライナキエフ」が再放送されたので視聴しました。

 

2014年のクリミア半島併合以降、東部ドネツク州で軍事衝突が続いていた時期とはいえ、キエフの街並みも市民の姿も平和そのものの印象でした。

キエフは10世紀末、キエフ=ルーシ大公国の都として、ルーシの正教会の発祥の地であり、市内の美しい修道院も紹介されていました。

特に番組では、ドネツク州の戦闘から帰還した兵士の社会復帰のために開店したピザ屋が紹介されていたのが印象的でした。その店では子ども向けのピザ作り教室が行われていて、元兵士たちが講師となって子どもたちと楽しく触れ合い、戦場で傷ついた心の平安を取り戻す試みが行われていました。

 

しかし番組の最後に、その時に放映された場所と番組に登場した市民はいま現在どうなったかが紹介されました。

露天市が並んでいた市内には捕獲したロシアの戦車の残骸が並べられ、番組に出てきた男性市民の多くは出征しました。

紹介された修道院では、毎日戦死者の埋葬式(葬儀)が行われています。

特に、上記のピザ屋のスタッフたちは全員再出征し、店長は戦死したそうです。

 

つい3年前のキエフの平和な街並みの姿とのギャップがあまりにもショッキングで、胸が塞がる思いで一杯になり、のんびり大晦日を送れるような気持ちではいられなくなってしまいました。

 

ロシア政府は今も「ウクライナをナチズムから解放する」「アメリカが挑発したことに原因がある」という主張を繰り返しています。

しかし、それは反体制運動など、ロシア国内で完結する内政問題について言っているならまだしも、ウクライナという「独立した主権国家」に軍事侵攻する理由には、どう考えてもなりません。(アメリカが国際社会で常に正義の味方とは全く思いませんが、少なくともアメリカはロシアを侵略してはいません)

まして、百歩譲って本当にウクライナの人々を解放したいというなら、平和な街並みと生活に必要なインフラ設備を「わざわざ狙って」破壊し、戦闘員だけでなく無辜の市民まで殺害するのは矛盾以外の何ものでもないと思いますが。

ロシア国民はもとより、戦争当事国でない日本人でさえも(そして正教会の信徒でさえも!)、ロシア政府の主張を鵜呑みにしてネット上で流している人がたくさんいます。もちろん言論の自由は保障されるべきですから、主張すること自体は結構なのですが、上記で指摘している矛盾について納得できる説明をしている人を一人も見たことがありません。

 

神がこの世を創り、人間にいのちを与えたというのは、キリスト教信仰の根本的な理解です。つまり、神から全ての人がいのちを授かっていると信じる以上、どんな人間のいのちでも軽んじることはできず、死んで良い人などこの世にいるはずがないのです。

つまりキリスト教徒を自認するなら、自分から進んで戦争を起こし、あるいは戦争を擁護することなど絶対にできないはずです。神に背いたと自ら宣言するのと同じだからです。

よってわが国で保障されている「言論の自由」に則って、私個人の意見を言わせてもらうなら、ロシア政府の戦争を正当化する主張を鵜呑みにする者は、論理的な思考に欠けた愚か者であり、キリスト者、なかんずく正教徒でありながら侵略戦争を擁護する者は、罪深い背教者としか言いようがありません。

 

しかし、私は戦争に反対する以上、ウクライナ軍の勝利によるロシア兵の戦死を祈願することも勿論できません。

これから迎える新年に、平和を願う人々(ロシア国内にも多くいると思われます)の思いが神に届けられて、戦争の終結が実現できることを祈っています。

そして、この九州に逃れてきているウクライナの避難民のために、できることをこれからも続けていきたいと思います。

 

皆様、どうぞ良いお年を。

そして、平和が実現しますように。