九州の正教会

日本ハリストス正教会のグレゴリー神父です。熊本県人吉市から情報発信しています。

東京出張の前に鹿児島へ

今日は鹿児島教会に行き、決算にあたって会計監査の立ち会い。


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来月の信徒総会で決算と今年度予算案を上程するのですが、明日からの東京出張の前にまとまって良かったです。

 

明日から2日間、ニコライ堂で全国公会(教団の年次総会)。月曜日は私たち専従教職員の定期健診です。

 

神父は自営業のように誤解されているのですが、日本正教会の司祭については一部を除いて宗教法人である教団の専従職員。つまり会社員と同じ給与所得者です。健康保険も厚生年金もあります。

私は会社員を辞めて神学校に入り、司祭になったわけですが、雇用形態としては前職と同じということになります。

 

東京は再び緊急事態宣言発令となりますね。コロナに感染しないよう、隠忍自重(?)します。

東京出張の準備

今日は人吉ハリストス正教会子育てサロンの日。
毎週金曜日から水曜日に曜日を変更しました。

 

私は境内の草刈りに従事。旅行に出ていて草刈りを1週間サボったら、たちまち草ぼうぼうになりました。

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一週間で草ぼうぼうになった教会境内

勝手に生えて咲いている花々も勢いが旺盛です。

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境内に自然に咲いた花々

 

さて先日、コロナワクチンの案内が来て申し込んだのですが、熊本日日新聞の報道によれば、県内のワクチン在庫が大幅に不足する見込みのようです。

 

私としては教会を預かる立場上、自分が感染源になって信者さんに移すことは絶対にできないので、早くワクチンを接種したいと思っているのですが、先行きが心配になってきました。

市の案内には、日程について連絡が来るらしいのですが、本当に大丈夫かなと思っています。

 

そんなことを考えながら、今週末に東京の教団本部(ニコライ堂)で開かれる全国公会(教団の年次総会)への出張準備。

土曜日の公会初日に出るにあたり、正教会の神父は着るものが多いので(笑)、荷物がかさばります。

そのようなわけで衣類を今日、宅配便で東京に送りました。宅配便も東京までは二日かかるので、早めに送らなければなりません。

 

すると、東京でコロナの新規感染者が920人とのニュースが。5月13日以来の900人超えとは、第四波と同レベルということです。

 

立場的に公会出席を拒否するのは難しいし、かと言ってコロナも心配だし…東京行きが憂鬱になっています。

唐津歴史紀行

7月2日の昼に伊万里市内で信徒訪問を済ませ、九州の歴史ある城下町である唐津に向かいました。

 

唐津は長く松浦党の波多氏の所領でしたが秀吉に滅ぼされ、1594年に秀吉の腹心の寺沢広高の所領となりました。広高は朝鮮出兵で、名護屋城の普請やマネジメントを担当し、出世した人物です。しかし彼は秀吉の死後、家康に接近。関ヶ原では東軍に味方し、天草を加増されました。なかなか立ち回りが上手いです。

広高の死後間もなく、寺澤家は島原の乱勃発の責任を取らされて天草を没収され、藩主の堅高も自害して断絶。以後、大久保氏(29年間)、松平氏(13年間)、土井氏(71年間)、水野氏(65年間)と藩主が交代。1817年に入部した小笠原氏が幕末まで続きました。

九州では戦国大名が幕末まで藩主を務めた藩ばかりですが、唐津は例外的に「転勤族」の譜代大名が治めていたのです。ちなみに徳川幕府の最後の老中・小笠原長行は、唐津藩の若殿でした。

 

唐津藩主で有名な人物は、天保の改革を行った老中・水野忠邦でしょう。彼は1812年唐津藩主を継いだ後、幕閣での出世を目指して猟官運動を展開。九州の藩主のままでは中央の仕事が回って来ないと分かり、幕府に1万石返上する見返りに異動を願い出て、1817年に浜松に転封しました。以後、彼は大阪城代京都所司代を経て、ついに筆頭老中の地位を手にしたのです。自分の出世のために平気で領地・領民を見捨てるなんて悪い殿様ですね。

 

さて、藩の政庁の唐津城は、初代藩主の寺澤広高が1608年に建てました。廃藩置県で城は取り壊され、現在の城は昭和41年に造られたものです。内部は歴史博物館になっています。

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唐津城天守

寺澤広高は築城だけでなく、海岸に防風林として100万本の松を植えさせました。これが日本三大松原の一つ「虹の松原」です。

東西4.5㎞あり、横を車で通ってみましたが実に広大でした。

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虹の松原にて


さて唐津で有名なのは毎年11月2日から4日まで行われる唐津神社の例大祭唐津くんち」です。唐津くんちは1980年に国の重要無形民俗文化財、2018年にユネスコ無形文化遺産に指定されています。

唐津神社は755年(奈良時代!)創建の歴史ある神社で、寺澤広高が唐津に入部して再興しました。以来、秋祭が続けられていたのですが、1819年に巨大な山車「曳山」の第一号・赤獅子が奉納されて以来、約60年間で城下の各町が競って曳山を制作し、今は14台の曳山が町を練り歩く勇壮な祭となっています。

この曳山は普段は唐津神社そばの曳山展示場に保管され、常設展示されています。どれも造られて150年から200年経っているものばかりですが、ちゃんとメンテナンスされて光り輝いています。

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曳山展示場

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一番曳山「赤獅子」(1819年)

明治維新を迎えて、唐津藩唐津県となりました。知事の小笠原長国(最後の藩主)は明治4年、旧藩士のための英学校「耐恒寮」を開校。米国帰りで弱冠18歳の高橋是清(後の首相、蔵相)を知事の3倍の俸給で教授に迎えました。この耐恒寮跡は現在、早稲田佐賀高校となっています。 

 

是清の生徒の一人に建築家の辰野金吾(1845-1919)がいます。辰野は耐恒寮を経て、東京の工部省工学寮(現・東大工学部)でジョサイア・コンドルニコライ堂鹿鳴館の設計者)から建築学を学び、自身も建築家として東京駅、日銀本店、大阪市中央公会堂(すべて重要文化財)などを設計しました。

市内には辰野が設計し、1912年に建てられた旧唐津銀行本店があり、現在は「辰野金吾記念館」として無料公開されています。97年まで佐賀銀行が使用していたそうですが、ヨーロッパの銀行のような壮麗な建物です。

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辰野金吾記念館(旧唐津銀行本店)

この唐津銀行の創立者・大島小太郎(1859-1947)は、耐恒寮で辰野の同級生でした。大島が1893年に建てた屋敷は「旧大島邸」として、唐津市の管理でイベントスペースとして貸し出されています。

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旧大島邸

旧大島邸のすぐ近くに、炭鉱王・高取伊好(1850-1927)の屋敷「旧高取邸」があり、国重要文化財に指定されています。

高取は佐賀藩出身で、慶應義塾や工部省鉱山寮で学んだ後に工部省の技官となり、九州の炭鉱開発に従事しました。1885年に独立した後、佐賀県内の炭鉱開発に成功して大富豪となり、69歳でビジネスを引退して8年後に亡くなるまで、唐津の屋敷で悠々自適の余生を送りました。

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重要文化財・旧高取邸

敷地は2300坪、建物は400坪ありますが、この屋敷に97年まで高取家の人が生活していたというのには驚きました。

内部は撮影禁止ですが、杉戸の絵や欄間の装飾が実に美しいです。また能舞台に転用できる巨大な板の間があって圧倒されます。

照明のランプシェードはアールヌーヴォー調、ふすまの引手は七宝焼きなど、細かいところの装飾に手間をかけている印象です。

高取自身が教養人だったからか、屋敷も成金趣味というより、京都の禅寺のような品の良さを感じました。

 

大島邸と高取邸の間にあるのが河村美術館です。これは唐津出身で住友金属工業の重役だった河村龍夫氏(1893-1976)のコレクションを土日祝日だけ一般公開している美術館です。

日本画も西洋画も、明治から昭和にかけての日本人画家の作品に特化しており、特に九州が生んだ夭折の画家・青木繁の作品を20点所蔵し、常設展示しています。一見の価値があります。

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河村美術館


 

唐津は藩主が頻繁に変わったためか、他藩と違って大名家のカラーが希薄でしたが、街自体は城下町ならではの落ち着いた風情で、とても良い雰囲気でした。

平戸歴史紀行

巡回を兼ねて昨日まで、三泊四日で出かけていました。

以前から平戸を見たかったので、7月1日に一泊して回りました。

 

平戸は1550年にフランシスコ・ザビエルが来航した地。領主の松浦隆信から布教の許可を得て、翌年には教会が誕生し、多くの人々がカトリック信者となりました。

しかし、1587年の豊臣秀吉による伴天連追放令の後、平戸はキリシタン迫害の中心地となり、多くの信者が殉教しました。

明治のキリスト教解禁後、わが国ではパリ外国宣教会によるカトリック宣教が再開され、多くの隠れキリシタンがいた長崎県はその中心地となります。

平戸は特に、1881年から地区を管轄したマタラ神父(1856-1921)の活躍で多くの教会が設立されて今日に至っています。

 

そのようなわけで、カトリックの歴史的な聖堂のうち、主だったものを訪ねました。

まず、マタラ神父が設計した平戸で現存する最古の聖堂・宝亀教会(1898年築・長崎県有形文化財)。

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宝亀カトリック教会(1898年築)

次は紐差教会。現聖堂は「教会建築の父」と呼ばれた鉄川与助(1879-1976)の設計で1929年に建てられました。

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紐差カトリック教会(1929年築)

田平教会は、やはり鉄川与助の設計で1918年に建立。国の重要文化財に指定されています。あまりにも優美な姿で、見ているとヨーロッパの村にでも来たような気分になります。

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田平カトリック教会(1918年築)

平戸市街の平戸ザビエル記念教会は1931年建立。長崎大司教区の平戸地区主管教会で、とても大きくて見栄えがします。聖堂の前には献堂40周年を記念して、1971年にフランシスコ・ザビエル像が建てられています。

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平戸ザビエル記念教会(1931年築)

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聖堂の前のザビエル像

 

さて、上述の松浦隆信は南蛮貿易の利権が目当てで、ポルトガル船の入港とカトリックの布教を許し、実際に巨万の富を築きました。しかし隆信自身はキリスト教になじまず、ポルトガル人を追放するに至ったため、彼らはキリシタン大名大村純忠が開いた長崎に移ってしまい、松浦氏は南蛮貿易の利権を失いました。

隆信の後を継いだ鎮信は幕府の許しを得て、1609年にオランダ、1613年にイギリスとの貿易を開始し、両国の商館が建てられました。平戸は、ポルトガルの撤退で衰退した長崎に代わって、日本で唯一の対外貿易港の地位を取り戻したのです。

ちなみに鎮信は、徳川家康から「三浦按針」の名をもらった英国人ウィリアム・アダムスを平戸に招聘しています。アダムスは1620年に平戸で亡くなりましたが、幕府の鎖国強化にともない、イギリス商館は1623年に撤退しました。

現在は1639年に建てられたオランダ商館が2011年に復元され、当時の絵図や物品の博物館になっています。一見の価値があります。

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平戸オランダ商館

ちなみに幕府は、1641年にオランダとの窓口を平戸から幕府領の長崎出島に移転することを決定。つまり、外国貿易の利権を幕府が平戸藩から奪い取ったわけです。そのため、この商館のオリジナルは建てられて2年で取り壊されてしまいました。

 

さて、平戸藩主の松浦氏は平安時代嵯峨源氏渡辺綱の子孫です。渡辺綱の曽孫の久が肥前松浦郡に定着し、地名の松浦を姓にしました。

以来、松浦一族は「松浦党」を名乗り、強力な水軍で知られました。壇ノ浦の合戦では平家に味方。元寇でも海上のゲリラ戦で元軍を苦しめました。

鎌倉時代以降は海賊の倭寇として恐れられ、また中国商人との密貿易で財を成しました。ちなみに前述の松浦隆信は、明の貿易商・鄭芝龍を平戸に招聘しましたが、芝龍と平戸の日本人女性の間に生まれたのが、台湾をオランダから解放した英雄・鄭成功です。

隆信の子の鎮信は秀吉にも家康にも重用され、以来平戸は幕末まで一貫して松浦領でした。明治以降は松浦伯爵家となっています。

 

松浦氏の居城・平戸城は鎮信が1599年に建てました。しかし、鎮信は大阪の陣の直前の1613年、徳川への忠誠を示すために城を焼き払ってしまいました。

現在の平戸城は昭和37年に建てられ、博物館になっています。

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平戸城

城が焼けた後は藩主の館が政庁となり、明治以降も松浦家の当主が住んでいました。現在の屋敷は1893年に建てられたもので、昭和30年に松浦家が平戸市に寄贈。現在は「松浦史料博物館」となっています。松浦家代々の宝物や藩主の私物などがたくさん展示されていて、実に見ごたえがあります。写真もすべて撮影可です。教会に興味がない人も(笑)、ここにはぜひ行くことをお勧めします。

 

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松浦史料博物館と歴代藩主の所蔵品

 

平戸は私のように日本史も西洋建築も好きな人間には魅力満載の街でした。再訪できる機会があったら、今度は生月島などの隠れキリシタンの遺構や教会を見てきたいと思っています。

熊本豪雨災害から1年

昨年7月4日に発生した熊本豪雨(令和2年7月豪雨)災害から今日で1年となりました。

毎月第一日曜日は福岡巡回日ですが、豪雨が発生した日はその前日の土曜日でしたので、福岡の執事長に連絡して巡回を休み、信徒の安否確認でご自宅を見て回りました。連絡といっても、固定電話もインターネット回線も三日以上不通で、携帯電話もほとんど繋がらないので大変でしたが。

市の中心部は泥だらけで、瓦礫の山。流されてきた車が散在していて、信じられない光景でした。

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水害直後の青井阿蘇神社の前の池(筆者撮影)

 

今日は福岡伝道所で聖体礼儀でしたので、この熊本豪雨と、昨日(偶然去年と同じ7月の第一土曜日)発生した熱海の土石流で犠牲になった方々を祈祷の中で記憶しました。

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福岡での聖体礼儀


www.youtube.com

 

今日は人吉市では、犠牲者の慰霊祭が行われました。

 

今も仮設住宅で避難生活している方は3700人もいます。人吉市の人口は3万人しかいないので、それを考えたらとてつもない人数ではないでしょうか。

 

今日は20時から、球磨川の河川敷で花火が打ち上げられました。

仮設商店街の「コンテナマルシェ」の企画イベントで、人吉の復興を祈念するものです。花火の打ち上げはお金がかかるので、仮設店舗で営業している方たちには大変だと思うのですが、それだけ復興への願いは強いのでしょう。

我が家からは途中に障害物があるので、ちゃんと写真に写りませんでしたが…

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復興祈念の花火

 人吉の一日も早い復興のために、これからもできる支援を続けていきます。

熱海で豪雨災害

今日は昼まで唐津にいて、午後に福岡へ移動。伝道所に寄って明日の聖体礼儀の設営をしました。

唐津にも歴史遺産がいろいろありました。写真は1911年に建てられた旧唐津銀行本店です。


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さて、人吉は明日で豪雨災害から一年。県主催の慰霊行事が行われる予定です。

すると熱海市で今朝、豪雨で大規模な土石流が発生し、約80世帯が飲み込まれたとのショッキングなニュースが。約20人が安否不明とのこと。


TBS NEWS on Twitter: "【速報】静岡県 #熱海市 で発生している大規模な #土砂崩れ で、複数の住宅が巻き込まれ、20人程度が流されて安否がわからなくなっていることが静岡県への取材で分かりました。静岡県知事が自衛隊の災害派遣を要請しました。… "

 

去年の人吉も一日違いとはいえ、曜日は同じ土曜日。とても他人事とは思えません。

被災者のご無事を祈っています。

旅に出ています

今日は佐賀県伊万里市で所用があり、さらに週末は福岡伝道所に巡回の予定です。

人吉から福岡・佐賀方面を何往復もするのは時間と体力をロスするので、いっそのこと泊まりがけで、いろいろ歴史的なものを見て来ようと考えました。

 

昨日は平戸、今日は唐津に泊まっています。

いろいろ興味深いものを見てきましたが、スマホでは投稿に限界があるので、詳しくは日曜日に帰宅してから投稿します。

写真は平戸ザビエル記念教会です。


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